連休阿房旅行

2004年04月20日

その始まり


 「まだまだ定年は早い」という声も何のそのに五月の連休は思い切って休むことにした。この一年の何だか分からないドタバタで染みついた歯垢のようなストレスをふるい落とすためである。実はお金なんて持っているわけがない。昨年のC622以来金欠病にとりつかれてしまったのである。きっと仕事の悪霊のせいに違いない。これには先祖伝来の地を踏んで悪霊を除かねばならぬ。
持って付けたような理由を考え出し、有田陶器市探訪ということで酔考先輩を誘ったところ是もなく賛成となってしまった。もちろんその前に家人を誘ったのであるが、ていよくお断りされてしまった。(汗)
さて、切符であるが、その前に旅程を決めなければならない。酔考さんとはよくお会いするのであるが、お互いに酔っぱらっているものだからいつまで経っても具体的な話にならない。4月半ばになってやっと相談したものの「おまえに任せた。」との涙の出るような嬉しいお言葉である。
どのような旅行になるか皆目見当がつかないのであるが、とりあえず次のように断を下した。

全体のコンセプトは、まずは焼き物探訪の旅とした。結果はどうなるか楽しみである。

第一日:薄暮の東京駅を1列車「さくら・はやぶさ」で出立
第二日:肥前山口で佐世保線特急「みどり」に乗り継ぎ有田下車。
      有田陶器市を見学し武雄温泉宿泊
第三日:武雄温泉から唐津市へ移動、唐津市内探訪し魚料理を満喫し唐津泊。
第四日:唐津から筑肥線にて玄界灘沿いを移動、博多どんたくを見学の上この日帰京する酔考さんのお見送り。私はその後、実家泊、久しぶりに母の顔を見ることとする。
第五日:実父の墓参に筑前新宮へ移動。墓参後、熊本の家内の実家を訪問し泊予定。
第六日:鉄道にて帰京

という壮大な計画である。
さてこの予定がどのように変化するか、お楽しみ。と思ったとたんに変更が始まった。こんなメモを旅行前から書いていると大抵ろくなことはないのであるが・・・・・

まず出発日である。気持ちでは4/28(金)仕事終了とともに東京出発と思っていたのであるが、どうやら18時までの会議が入ってしまった。これでは18:03発の長崎・熊本行き併設寝台特急「さくら・はやぶさ」には間に合わない。ましてや売店、食堂車のない寝台特急とあっては飲み食いの楽しみが奪われてしまう。
ということで4/29の出発にした。これならば、家の勤労奉仕をやった後での出発なので後ろめたさも半減である。。
次の問題は肝心の宿泊場所である。
武雄唐津、いやー、なにあのような田舎町である。宿ぐらい何とかなるさ。」と思ったのが大誤算である。昨年100万人を越える人出のあった有田陶器市と200万人だったかの人出の博多どんたくに挟まれて全くアウトである。
ここで切り札の議員先生の登場である。小学校のはな垂れ小僧時代からのおつき合いであるが、彼は地元の名士(迷士?)である。その名士に頼み込めば何とかなるだろうと云う甘い考えで宿の確保を頼むことにした。ところが、その彼をしても怒濤のごとく唐津に押し寄せる観光客をくい止めることができず、「どこーも、なかばい」ということで、唐津の宿はアウトであった。結局彼の世話で佐賀の名湯・武雄温泉で二泊することになった。私は生まれ故郷なので嬉しく、この期間引き起こされるイベントを想像できるのであるが、そのことをまだ酔考さんに告げていない。さてさて、何が起きることやら(汗)
酔考さんの予定と云えば博多から飛行機でご帰還なさるよし阿房列車が成り立たない、許せぬことである。 ならぬ堪忍するが堪忍、韓信の股潜りの心境で友人らに帰郷の旨を告げたところ妙齢のご婦人より
「連休じゃ飛行機も安くないでしょう。株主優待券なる秘密兵器があるので差し上げましょう。」
と金欠旅行をお見通しのお言葉があり、ありがたく拝領し、先日先輩にお渡しした次第である。えがちゃんありがとう。(2004.4.20)







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