| 突然写真機に魅せられてしまう。こんなことは私に起こり得ないことだと確信めいたものがあったのだが、いつの間にか他人様から「あなたはカメラが好きなんだそうですね。」と言われるようになってしまった。元々そういう素地があったのだと言ってしまえばおしまいであるが、そのきっかけは、ハイテクカメラからの反動と思っている。 私の場合、写真機を好きだと言っても言っても電池を使用しない機械式カメラ、それも一眼レフではない古くさいスタイルのレンジファインダー(距離計)式が興味の対象である。 十年ほど前、当時最新鋭の一眼レフを使用して驚喜したのも束の間、押すだけで写るという単純さの反動で古いカメラが懐かしくなり、一気にクラカメマニアと呼ばれている人種になってしまったのである。
幼少より不器用で雑な割には機械ものが大好きで、創生期のプラモデルから鉄道模型へ、更にはライブスティームまで至りついてしまった。また、蓄音機やミシンの分解と破壊という具合にあらゆるものに手を触れてきた。もちろん写真機も人並みに小学時代の日光写真に始まり中学三年ではキヤノネットへの進化という具合に普通の道を辿り、大学から結婚するまでの社会人生活はSRT101等のミノルタ製一眼レフを所有するごく普通の人種だったと思う。 結婚後、二児の父親ともなると速射性に欠けるマニュアル一眼レフを嫌い、出たばかりのミノルタ自動焦点コンパクトカメラへと転向する軟弱さであった。その後、二十年近く「写る」と言う単純な世界に甘んじていたが、さしたる不満もなかったような気がする。 と、ここまで書いたものの昭和52年から昭和53年にかけて航空路管制システムの開発で札幌へ長期出張していた際、暇な休日の慰めにと中古のマミヤC220という二眼レフを購入し正当なカメラマン生活を送ったことがある。購入の際、大いに迷ったのは同じウインドウに並んでいたレオタックスというライカ・バルナック型のコピー機であった。対抗馬のマミヤと同価格の二万八千円だったと思うが、複雑怪奇なスタイルが災いして結局手を出せなかったのである。この時レオタックスに縁があったならば長期出張手当はライブスティームでなく、まだまだ安かったカメラへの投資に向けられて今や巨万の富を手にしていたに違いないと反省することしきりである。 この時買ったC220は、十五年ほど子供達の写真撮影に活躍してれたものの非情な持ち主によってローライフレックスの一部に変じてしまった。 札幌から帰還した後は、お子さま写真家へ戻り、十数年後のクラカメマニアへの変身を待つことになったのである。 |
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