編集後記
十年ほど前の文章が出てきた。ハウステンボスが出来た年の話である。法事のための久しぶりの九州行きを記録しようと思いA4サイズのEPSONワープロを持ち歩いたのである。今や特急「みずほ」も消え去って寝台列車の楽しみも半減してしまった。何の価値もない古いワープロの中でこの文章を朽ちさせるのも忍びないので私的すぎる部分を見直した上で掲載することとした。上京以来幾十回九州へ帰省したか定かではないが、手元にある紀行文は僅かである。そういった事情で私的面がまだまだ強いのはご容赦願いたい。この文章を書いて十年経過し、登場人物の殆どが健在であるのは喜ばしいのであるが、東京の祖母と養母、末弟の次男が高2という若さで不帰の客になったのは極めて残念なことである。長崎街道沿いに建つ風格あった生家は5年ほど前に取り壊され、ただの空き地になってしまった。 一昨年、帰省する機会があったので江戸時代から続いた高橋の街の終焉を見る思いで走り抜けてきた。 現在のような激動の時代とあって九州行きもなかなか思うにまかせないが機会を見て阿房列車をやりたいと常に考えている。線路の向こうには様々な夢があるように思えてならない。 |
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