法事阿房列車

1992年04月03日




4月3日
 長い法事阿房列車の日程も終わりに近づいた。今日の17時36分発の寝台特急「みずほ」で帰京である。朝一番にすることは、土産の調達である。カミさんは、街に出ると言っているが、今回は別の目的もあるために駅で買うこととし10時前に熊本駅へ出かける。 目的は、もちろんあそBOYこと8620である。入線風景を是非写したいと考えて急いだがもう駅舎の上に黒煙がある。またもやシャッターチャンスを逃してしまった。
 ともかくホームに出て8620と対面する。やけに職員が多いために尋ねてみれば、昨日の立田口駅で見送ったあと武蔵塚駅で圧縮機が故障し45分の遅れを出したそうである。そのため8620の生まれた小倉工場から技術方が派遣されているとのことである。大正11年生まれの8620は、JR九州の目玉であるので「何がなんでも動かせ!」と言う上部からの指示があるそうで僕等蒸気機関車のファンにとっては頼もしい限りである。
とはいうものの、とにかく部品が無く技術方は苦労している様子である。先日は、発電機のタービンが破損し発電機全体を取り換えており、毎日熊本駅を出発するまでは気苦労が絶えないとのことである。発電機故障は、ファンからの前照燈の常時点灯要望のせいでも有りそうだ。
 そこで、僭越ながら「あちこちで雨ざらしの赤錆をふいて展示している機関車を全て召し上げて部品を取りなさい。」とか、「予備の機関車を生かして故障に備えなさい。それにはC11辺りが適当ではないか」とか進言申し上げてきた。が、どこまで取り入れてくれることやら。もっとも優秀な技術陣では既に検討済みの事かもしれない。金塊など買わず蒸気機関車の動態保存に故郷創生1億円を各町村が拠出すればすぐにも解決しそうなことばかりである。生きている蒸気機関車は、まさに貴重な文化財と思うのだが。
 10時29分あそBOY定時出発。8620らしい優しげな汽笛を鳴らしドラフトの音も勇ましくホームを出ていく。やはり蒸気機関車の出発は素晴らしい。次回は必ず乗車するぞと考えながらホームをあとにした。

 17時15分、帰りの時間が間近となった。駅に着き弁当を買っていると黒煙が見える。あれっー、そうか8620の戻ってくる時間だ義弟の長男を連れて走って見に行く。1カット撮影し、本日の最終お召し列車に向かう。義母、義弟一行と再会の挨拶をしていると先程のあそBOYが春日(かすが)の古道の踏み切り方向に走り抜けていく。入れ換えは0番線近くでやっていると思っていたのにこれはうれしい光景である。まさに法事阿房列車のお見送りにふさわしい光景である。カミさんの顰蹙をかうことも忘れ、しばし眺める。
 「みずほ」定刻発車、涙を浮かべる義母とカミさん。また会う日が近からんことを願って手を振る。窓越しに見えなくなる見送りの一行・・・・・・・

 かくして、今回の法事阿房列車の旅は終わりを告げることとなった。九州到着時と同様に九州を出るに当たって鳥栖駅でうどんを食べたものの、その後は気が抜けたような状態であった。
 毎度のことながら帰路は夜が明けてからの時間の長いこと。岐阜駅停車で目が覚め、名古屋駅停車後起床。食堂車ではない食堂車の如き売店でサンドウィッチを買って早々と朝食を済ました後は、やることもない。ゴロゴロとしているうちにやっと見慣れた大船、次いで横浜通過である。最近改めて覚えようとしている鉄道唱歌を逆に歌うのもむずかしい。「えーと、横浜、鶴見、大船」と考えてみたものの馬鹿らしくなり中断してしまった。
 我が列車みずほは、時間通り翌日11時5分に東京駅に到着し、自宅には11時50分頃辿り着いた次第である。
 久しぶりの我が家が広く感じること。 寝台車の延べ二泊のせいか、はたまた、九州放浪の旅のせいか。精一杯手足を伸ばして寝ることとしよう。
 次回も元気で楽しい阿房列車が出来ることを願って終わりとする。

  合掌





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