思い浮かぶことども

2005.6.15 高架から見た森


 満員の通勤電車から窓の外を見ることは殆どなく、駅名確認にふと目をやる程度かも知れない。眼科に行くため早めに帰宅する時のことであった。下北沢を過ぎ、何気なく外を見やると緑の饅頭のような場所がある。新緑が夕日に映えて美しい。「あ、鎮守の森だ。」と懐かしい言葉をイメージした。東急世田谷線沿いにある六所神社の森であろう。そういえば梅ヶ丘の根津山は別としてこの小田急沿線には住宅の屋根に囲まれた小さな森の膨らみが残っているようだ。大きなお屋敷の森はもう消滅しかかっているが、まだまだ健在なのが寺院と神社の木々である。公園の緑は小さすぎるし、寺院のそれは手入れが行き届いているせいか庭木の雰囲気である。神社のものはまだまだ自然の雰囲気を残している。この自然の匂いが「鎮守の森」と言わせる根源かも知れない。
 翌日、下北沢までを反対側の窓から眺めると豪徳寺の緑の隣に世田谷八幡、更に向こうは世田谷城跡公園、梅ヶ丘を過ぎると代田八幡が行き過ぎる。環状七号線の陸橋を越えると代沢神社があるはずであるが、小田急線はこの地点では高架から地上路線を走るので残念ながら鎮守の森を見ることができない。
 経堂駅から下り方面の千歳船橋駅の間にも我が家の氏神・天祖神社、線路の反対側に稲荷森(とうかもり)神社がある。これらも小さな森として電車から見ることが出来る。小田急が地上を走っていたときには気が付かなかった光景であるが、数メータ上に上がったことで思わぬ光景を見せてくれるようになり嬉しくなった。
また、我が沿線の短い間隔に幾つも森が残っていることは大変素晴らしいことである。この歳までまともに考えたことがなかったのであるが、改めて鎮守の森を考えてみることにしたい。
 鎮守の森は残された最後のエコ環境であると書いた記事を何かで読んだ記憶があるが、自分の頭で考えて、この記事の云っていることが分かったような気がする。

 今の世ではとても考えられないことであるが戦前は、我が家から経堂駅が見えていたと8年前に96歳で死んだ祖母から聞いたことがある。ということは、これらの鎮守の森々は畑地の中に目立った姿で存在していたのであろう。
 鎮守の森は、明治政権の権威付けに利用されて肩で風切る神社様になり、お祭り以外は近寄りがたいものの象徴だったのかなと想像しているが、さて、どの様なものだったのだろうか。
潤いが日一日と失われていく現代にあっては、この領域を貴重なエコ空間として残すとともに明治以前の肩を張らないおおらかな雰囲気に戻すことでまた違ったものになるのではないだろうか。戦後60年、やっと戦前の長所と短所がフィルターをかけずに語り始められ、新日本として蠢きだしたような気がする。次の時代は、江戸幕府のように300年の安泰政権になることができるよう現存の我々が努力すべきでは無かろうかと思う次第である。高架から見た見慣れぬ風景がとんだ空想を呼び覚ましてくれた。(2005.6.15)





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