列車の旅いろいろ
最近のネタ切れ対策と既にご紹介の列車の旅も帰省関係に偏っていたので古いファイルを探して補充することにしました。ありました。ばんえつ号・からくり探訪旅行で紹介した会津行です。仕事外の会津行だったので印象深い旅でした。(こちらのページへ引っ越ししました。) 暇な学生生活を送っていた伜を引っ張り出して蒸気機関車にも乗ってきました。また行きたいと云いながらも結局行けない状態がいまだに続いています。(2003.3.15)
2000年9月14日 久しぶりに鐵ちゃんをやってみようと思い立ち連休を会津へ行くことにしました。 ところが、新潟から新津回りの正当なばんえつ号ルートを選択したたものの新幹線はグリーンを含めまったく席が取れません。それではと郡山から会津へ向かい、帰路を蒸気機関車にする計画に変更したところ、直前の予約でも大丈夫でした。勢い余ってまだ乗車したことのなかった2階建てMaxの2Fで郡山まで行くことにしました。 カミさんに蒸気機関車の旅を提案したところ、予想通り拒否されたので夏休み終盤を暇そうにしている伜に声をかけたら付いてくるとのことです。久しぶりに子供連れの旅です。(^_^) ところで、切符を買った目黒駅のJRビュウプラザの小父さんは、このC57を新津の小学校への移送に関係したとのことで嬉しそうに切符を渡してくれました。
旅行カメラは何にするか・・・・会津若松も含めた撮影なのでレンズは遠近取り混ぜた構成にするとして古今カメラ特集か近代一本か迷うところです。 結局、Nikon35TIとF3+85mm/f2という組み合わせにしてしまいました。
9月15日 前に書いたように本日は、蒸気機関車探訪と新幹線早割サービスのせいなのか新潟行き新幹線が予約できませんでした。仕方なく逆回り行程を選択しましたが、結果論から云うとC57180乗車を楽しむ目的であれば順方向をお薦めします。というのも、乗車記念証パンフレット等が全て新津を基準に書かれています。外の明るさもつるべ落としの秋の日とあって新津に着いた頃は、薄暮状態で写真もままなりませんでした。闇夜の鴉と同様に暗闇に蒸気機関車ではやはり楽しめません。何が何でも新潟起点の旅にすべきでした。といっても後の祭りです。 という反省はさておき、旅行としてはまずまずでした。 息子と行くことになろうとは思いませんでしたけど、きっとこんな旅行は最初にして最後だろうなという記念すべきイベントだと思っています。 仕事での日帰りしかしたことのなかった会津若松を今回はじっくり見学するつもりで気合いを入れましたが、この連休は東京よりも異常に暑く、30度を超す炎天下の散歩となりいささかばてました。
会津若松駅に到着してまず目に入ったのは駅前中央通りにあるクラカメ屋、ところが銀座以上の高値設定に驚きました。ライカが軒並み高くそれにつられて他のものも高いのです。普通のM3+ズミクロン50mm/f2がなんと\400K。バルナック以下も推して知るべし値段なので早々に逃げ出しました。このカメラ屋以外、会津では中古カメラ屋を見つけることができませんでした。 その日は鶴ヶ城の城内で食の祭典をやっておりましたけど、あの周富徳氏が暑さにばてた状態でお店を出していました。 我々も歩く気力が失せレンタサイクルを借りて町を回りましたけど、やはり暑い。写真を撮る元気が出ません。早々とホテルに引き上げて休息となってしまいました。高校時代陸上選手だった倅もこのところの不摂生でスタミナ切れの様子です。
夕食は、商家の通りを再現?した七日町通り、只見線七日町駅近くのYという割烹兼宿屋で会津郷土懐石なるものにしましたが、これがまあひどいこと、料理は高級郷土料理というふれこみの献立を注文したのですが、懐石の作法も何もあったものじゃない出し方です。ひとまとめにしてでドン、お盆からはみ出したものはテーブルの上に並べ、まるで学食なみです。男二人連れと思って適当にあしらったのか大変不愉快でした。二度と行くかと伜と愚痴を言いつつ帰路に付きました。 で、倅はホテルに帰るというので私だけ夜食調達を兼ねユニオンというイトーヨーカ堂裏の焼鳥屋で飲み直しました。そこで地元の人と盛り上がり、会津も見捨てたものではないと機嫌を直しました。Yは商家を改造した女性向けの店だとかであまり評判良くないことを知りました。最近の女性は、あの程度の料理でコロッと騙されているかと思うと末恐ろしくなります。 実は、宿の予約の際に近くの温泉の有名旅館では、「あります。折り返しすぐ回答します。」と云って1時間以上待たされたあげく問い合わせると、「空いてません。」というお粗末さ。会津は一体どういうところだと怒っておりましたが、地元の事情を直接聞いて情報収集不足であることがわかりました。マスコミを信用してしまったことを反省しました。 ところで、飲み屋では、
残念ながら武士の町だった会津がいつの間にか商業主義に毒されている。 現代日本を象徴する現象に巻き込まれてしまった。 全国の観光地の傾向であるが、明治大正浪漫を何故売り物にするのか 不可解である。会津でもその傾向にあった。戊辰戦争の恨み辛みは山ほど あると思うのであるが、数百年にわたる長い会津の歴史にとって短期間の 戊辰戦争を観光の目玉にすることで明治以前の会津の良さがほとんど埋もれ てしまっている。保科家の善政が忘れ去られているのではないだろうか。
このような話で飲み屋で盛り上がりました。 この店の焼き鳥は意外に美味く、ホテルで待っていた倅にも好評でした。
9月16日 翌日は、飯盛山の傍にあるさざえ堂を見たくて足を延ばしました。
入り口から螺旋状のスロープを上り、また下る。出口は別の場所です。建物の中に二重構造の通路ができておりメビウスの輪的状況に感心しました。
この建物を知らなかったのは私だけかも知れませんが、江戸時代の建築物の巧みを感心して見物しました。白虎隊墓地を参拝し、再び町へ戻って裏通りを歩くと、やっと武家の町らしい雰囲気です。特に観光ルートを設定している様子もありません。何もせずに放置しているという印象でした。その一方で野口英世青春通りというご本人が聞いたら恥ずかしくなるような通りが作られていました。観光地化するのはいいのですけど歴史を売るのならバランスした開発の考えが必要ではないかと思いました。
そうこうしているうちに列車の時間が近づきます。駅に荷物を置いて駅前散歩をしてみました。古い木賃宿や商店をのぞき回りました。会津塗りの店で邪道かなと思いましたが、ガラスの酒器に漆を流したものを求めました。赤と黒の漆セットはなかなかモダンだなと思いました。 ワインを飲みたくなる陽気じゃない容器です。
15:07ばんえつ号発車 乗ってしまうと蒸機でも電車でもほとんど変わりません。唯一違うのは横置きレシプロエンジンの振動がそのまま前後に伝わることです。昔乗っていた列車よりもひどく感じるので弁調整が下手なのかも知れません。時折汽笛が鳴りますが窓が開かず石炭の匂いもしないのでBGMのように思えます。列車の中間車輌であったのも災いしました。 とはいえ時折カーブ越しに見える先頭の機関車が頼もしく見えます。途中での長時間停車が楽しみです。
17:00津川停車 水補給のために津川駅で21分間の停車です。久しぶりに眺める生きた蒸気機関車ににっこりしたのですが、運転席の中に見慣れない銀色の大きな配管があります。どうしたことかと尋ねると運転席下にある注水用インジェクターが故障し部品再生不能なため新たに大型のものを設置したとのことでした。大変みっともないのですが、往時のインジェクターを作る技術がなくなってしまったのかと心配になります。
この季節に17:00を過ぎると日も陰ってきて写真を撮るには段々と不利になっています。かまわず写したのですが納得いく写真を撮ることが出来ませんでした。自動露出の35Tiによる写真が良かったのは云うまでもありません。
18:24新津到着 この時間になると辺り薄暗くなってしまい汽車の観察には全く不向きな時間となりました。新津到着とともに東京への帰路に思いがいってしまいC57の運転席をちょっと眺めるだけで慌ただしく新潟行きの連絡便に乗り込みました。
今回は予想外の暑さに悩まされてすっかりくたびれてしまいましたが、会津汽車事情が飲み込めましたので次回はもっと余裕を持った旅ができることと思います。(2000.9.23) |
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