列車の旅いろいろ

2000年12月17日

熊本法事列車(平成12年12月8-10日)


あらまし
またもや古い文章で恐縮です。2年前に岳父の13回忌のため慌ただしく熊本へ行って来ました。といいつつも鉄道を利用しました。小人閑居して何とやらで、その際に思い浮かんだことをNTTドコモのシグマリオンにリアルタイムに書き込み、後日見直しておいたものです。その時代時代の鉄道の雰囲気と我が家の歩みがちょっとでも分かるように記録しておいたものです。鉄道ネタとしてご笑覧下さい。(2002.10.10)


12/8(金)熊本へ出発。
 午前5:10起床。昨晩の会社の歓迎会出席でご帰還が遅かったせいで全く準備が出来ておらず慌ただしく準備を整えた。
 今回の旅も義父の十三回忌出席のためであり、目的のある旅なのである。従って、またしても阿房列車としては認知できない悲しさがある。ところで、法事には、式服の用意が一番大切である。にもかかわらず京都駅を通過している現在、ネクタイピンとカフスを忘れているのに気が付いた。昨晩のアルコールのせいであろうか。カミさんは既に前日出発しているのですべての責任は小生にある。
 二番目の準備はカメラである。電子仕掛けの確実カメラとしてカミさんがオリンパスのデジカメを持って既に出立しているので撮影の結果はまず安心である。と言うことで当方は、ニコンSP+35mm/f1.8とM5+ニッコール35mm/f2.5+Elmer9cm/f4という豪勢な組み合わせとなった。
何故選んだか、理由は単純、我が家は内装工事の真っ最中なためあらゆるカメラが段ボール箱の彼方になっており、寝ぼけ眼で取り出せたものがこの2台だったのである。本当はピストル付きバルナックにしたかったのであるが、とても時間がなかった。幸いにもGN20小型ストロボが普段使いの引き出しに収まっていたので宴会写真は写せそうである。
 が、肝心のフィルムが取り出せない。手近のポジ2本のみ携行して6:20に家を出た。

7:20東京駅着
 若干の時間があるので回転朝食\500を試みた。味はともかくこれはいける商売である。お寿司の代わりに朝食のおかずを回転させているのである。夕刻は当然ながら回転寿司になる。これはアイデアだ。三品自由だったので冷や奴、シラス大根、焼き鯖とする。基本セットに味噌汁、海苔が付くので格安感がある。熊本土産として以前好評だったもんじゃセット3個購入する。

7:52 のぞみ5号定時出発
 グリーンであっても新幹線の旅は新幹線である。ブルートレインと違って心弾むものがない。荷物を抱え込み寝台座席に座り、さーて、出発だ。一杯やるかという気持ちが湧かないのである。寝不足も手伝って古いポップスを聴いているといつの間にか夢見心地になった。新横浜から名古屋までの記憶がまるでない。列車の形式は500系JR西日本のペンシル型車両である。
 しかし、シグマリオンは便利である。カード類を抜いて使っているのでまず電池切れの心配がない。艦載機としての利用価値は充分ある。会社の顧客名簿をCFカードに入れてきたので後でチェックしよう。
いや、仕事は忘れよう。

大阪出発10:30
 大阪でJR東海からJR西日本へ管理が変わる。おしぼりが紙からタオルとなった。使い捨てから再利用文化へ変わったのであろうか。
飛行機利用のカミさんは昨日9:00に家を出発し実家到着が15時前と思われるが、列車のハンディがあるにも関わらず予定通り行けば14:20には到着できると思うのだが、さてどうだろう。現在、明石辺りを通過である。予定通りであれば熊本東京間の空陸の時間差は2時間半である。もっとも疲れが違うけど。
喉と脳味噌が乾いた。ここいらでビールを飲もう。
ビールのついでに幕の内弁当、それにしても食堂車の無くなった汽車旅は全くつまらないものになったものである。しばし車窓の紅葉した風景を眺める。
ぼんやりしているうちに関門トンネル通過、早や小倉、12:27定刻である。
九州の地に踏み込みほっとするもののブルートレインと異なり電気機関車の付け替えも何もない寂しい九州入りである。

12:45定刻博多到着
 博多駅鹿児島本線8番ホームへ余裕を持って移動し、13:05発つばめ13号に乗り込む。出発時の東京に比べだいぶ暖かくコートが要らないような陽気である。
ここまでくれば熊本はすぐである。つばめという偉大な名前が九州に残っているがどのような経緯があったのだろうか? かもめはとも九州在住の鉄道省以来の伝統ある特急である。
 秋とは思えぬ陽気の中をつばめは疾走する。心地よい振動で眠気に誘われ久留米辺りまでは記憶にあるが、気が付いたら玉名の駅は既に通過し、両側に山塊が迫っていた。初冬の太陽に照らされた左手の山側には見覚えのある風景が広がっている。田原坂の古戦場、鹿児島から攻め上ろうとした西郷軍が政府軍と激烈な攻防戦を繰り広げた地である。欧米の戦に比べその規模は小さいものの戦闘密度は驚異的なものがあり弾丸と弾丸とが空中で衝突した行き会い玉なるものを熊本やこの地の記念館で見た記憶がある。戦後100年以上を経過してもなお田原坂界隈の畑地から鉛の弾丸が出てくるそうである。
熊本から筑後へ抜けるにはこの峠を越えざるを得ず、何故ここが激戦地となったか、峠を縫って走る線路を見るとその思いを新たにした。山の木々は遅い紅葉を見せておりそんな戦があったことも知らぬかのごとく古戦場を包んでいた。

14:20熊本定刻到着
 カミさんの実家に電話するも誰も出ない、きっと明日の法事の準備だろう。それならと荷物を駅に預けて街へ出た。熊本城電停前の銀杏が鮮やかな黄色をみせているのでここから散歩を始めることにした。

 長塀に沿って写真を撮りながら久しぶりの熊本の空気に触れた。長塀下の芝生には学生らしきグループが秋の日を浴びて寝そべっている。長塀には散り遅れた桜の赤い葉がほんの少し残り、白い城壁に映えている。ニッコール35mm/f2.5からElmer9cm/f4に交換し晩秋のイメージを切り取ろうとM5で挑戦してみたが、結果はどうであろうか?

 上通りから下通り更には新市街を歩き回って家に戻った。3,4年ぶりの熊本訪問のような気もするが、最近の変貌速度が速すぎるようでこの街の行く末が心配である。

12月9日、法事
 抜けるような青空である。ホッとする。
 法事の場所は熊本市島崎、鹿児島本線沿いにある六角堂観音・本覚寺という古い日蓮宗のお寺である。
今回初めて知ったのであるが、このお寺は八百年以上前の開山とのことである。鎮西八郎為朝や平將門の名前が開基縁起にでている。特に後者については新皇將門とあるのは興味深い。やはり南朝の地によるものであろうか。四百年前清正公の正室をこの寺に埋葬し、その戒名の本覚院殿(ほんがくいんでん)から現在の寺名が付いたとのことである。山門の正面には観音堂があるという変わった造りであり鎮西八郎為朝の兜飾りの観音像が本尊であることによる配置のようである。
この寺の周辺は寺院と、墓地が数多くあり加藤、細川藩時代から寺町となっている。山手に行くと清正公を奉る日蓮宗の本山、本妙寺である。細川家の旧菩提寺、北岡公園もすぐそばである。
 法事は、十数名の親族の他に海軍の戦友2名の内輪なものであった。義父は、昭和も終わろうとする63年暮れ、昭和天皇の先達をするが如く、突然鬼籍に入ったのである。青春時代を海軍に捧げ、戦後をその活力で乗り切った義父であった。
初めて会ったときのことをふと思い出した。

<靖国神社の境内にある十三年櫻(ひとみさくら)>
(岳父が海軍入団五十周年同期会に上京し仲間と植えた櫻、随分大きくなりました。)

 日蓮宗の経文は豪快である。住職の剛胆な性格もあるのであろうが、体制に刃向かった日蓮の性格を現すかのような経文に聞き惚れている間に法事も無事終わった。

 場を変えて懇親の席となったが、七回忌に出席しなかった小生にとっては10年のブランクのある顔顔である。往事の顔を思い出しつつ出席の面々に接していると次第に思い出してくる。
出席者各位の健康と今後の益々の発展を祈りつつ十三回忌を終了した。
ゆっくりする間もなくカミさんは明日の用のため16時に熊本を発つというので見送りへ向かった。

12月10日 10:00熊本出発
 翌朝、特急つばめで帰路につく、熊本駅到着の際はあらかじめ席を立って降りる準備をしたので駅近辺の風景を見る余裕がなかったのであるが、今回は逆である。座席にゆったり背を持たれ、移り行く熊本の市街に眺め入った。一昔前と異なりビルが増えて眺めを遮っているというのが今回の感想である。「船場川の向こうにお城が見えたと思ったけど」と考えても見えぬものは見えぬ。
上熊本の少し手前、振り返り気味に市街を見ると、お城が見える。何だか儲けものをしたようである。今まで何十回となく通ったはずだがこの位置見えたことあったかなと考えたが思い当たらぬ。
 朝方の雨のせいか水墨画のような風景の中を「つばめ」は北進する。実はこのころからお腹の調子が思わしくない。念のためにと思って買っておいた正露丸を服用する。短期間に暴飲暴食をした報いかとカミさんの顔を思い出した。
来るときと異なって落ち着いて西郷軍のコースを眺めることが出来た。熊本市街から次第に山にかかり田原坂近辺が峠の頂であることが分かる。戦闘中に連隊旗を奪われ明治終焉際に乃木連隊長の切腹に繋がったという因縁の植木。次いで田原坂、木の葉と駅を通過し、菊池川鉄橋を渡ると昔の高瀬、今の玉名である。ここまで来れば筑後地方も間近である。もっとも当時は南関という内陸の地が主要なルートであったのだが今走っている鉄道からは遙かに離れた場所である。
とかなんとか考えながらお腹の調子をなだめつつ博多駅に着いた。

11:27 のぞみ16号定刻発車
 グリンー車のせいか乗客はチラホラである。のんびり出来そうで嬉しい。
岡山通過するも乗客はまばらである。外の風景に目を凝らすと旭川の鉄橋を渡る。ついでにと更に眺めていると大きく百間川の表示が建ててある。旭川のそれよりも大きく上り下りの列車にも見て下さいと言わんばかりの建て方である。知る人ぞ知る内田翁の業績に報いんがためであろうか。
JR万歳か岡山万歳なのか分からぬままに橋を通過した。
その後は淡々と鉄道唱歌の逆コースを走り続ける。
 この文章を書いている14:30には関ヶ原にかかろうとする位置である。雨後のもやがここでも水墨画を描いている。レンゲ畑の綺麗だった近江八幡あたりであろうか。

14:45名古屋定刻到着
 外の風景は雨模様のお天気のせいかくすんだ感じでお腹と同じく気分はすぐれない。そのまま寝込んでしまい、「琴ひく風の浜松」も、「菜種に蝶の舞阪」も、更には、「渡る浜名の橋の上」などは夢の中であった。

16:48定刻東京駅到着
 最後は締まらなかったもののこれで法事の旅は終了した。
次回こそは、ゆっくりと九州阿房の旅を味わいたいと思いつつ記録をこれで終わることとする。合掌。







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