ライブスティーム雑記帳

ライブスティームの始まり


 蒸気機関のことは、友人が持っていた壊れた定置型模型で知っていましたが、ライブスティームの存在に気付いたのは中学2年頃でした。中学の図書館に渡辺精一さんの「模型蒸気機関車の作り方」という本を発見しました。電気仕掛けの蒸気機関車は模型雑誌や模型店で見知っていましたが、火と水で動く本物の蒸気機関車の作り方だったのです。しかしながら現在でも理解できていないのに当時の私に分かりようもありません。
「世の中には凄い人達がいるもんだ、僕も何時の日か作ってみたいな。」と夢を膨らませたまま数十年後の復活につながることになったのです。受験、就職、結婚、子育て生活にと追われながらNゲージや模型工作に時折その原点を回顧するものの、ライブスティームは記憶の奥底にしまい込んだままになってしまいました。
 ほかの箇所に断片的に書きましたが、昭和52年は開発していたシステムの現地試験のために札幌に長期出張をしていました。まだ身軽な家庭だったので家内と2歳の長女を連れての出張となり、東区の美加穂公園近くのアパートに仮住まいをしました。仕事は辛かったものの生まれて初めての北の都の生活は実に楽しい毎日でした。見るもの聞くものが珍しく、五月連休の雪、初夏に狂ったように咲く花々、六月中旬の土筆の群落、小樽海岸での寒い海水浴、体育の日の北大植物園での胡桃拾いというように次々と懐かしい光景が浮かんできます。
 が、これはさておき狭いアパート暮らしでは日頃の趣味もままなりません。TMS(鉄道模型趣味)等を読んでバーチャルな模型作りを楽しむことで我慢していましたが、ある時この雑誌で夢にまでみたシェイのライブを発見しました。発売元のアスター精器に恐る恐る問い合わせをしてしまったのです。これが間違いの元(笑)で現在に至りました。何を問い合わせたのか定かではありませんが、蒸気圧、ボイラー形式、減速比、クランクシャフトの構造等の技術的なことを聞いたと思います。ところが、当時の営業のIさんの薦める貧乏所帯でも何とかなりそうな購入プランで思い切りることにしました。
結果は上々で狭い部屋の中で付属の工具とハンドツールだけで立派に出来上がったのには驚きでした。 これが、ライブスティームとのつきあいの始めでした。(2003.7.20)







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