連休阿房旅行

2004年04月29日

旅立、東京駅まで


4/29
 連休初日である。やらねばならないことが山積しているが、九州へ出立の日である。幸いにもお天気は上々なので心も晴れやかである。午前中は、家中の掃除と庭木の水やりに徹した。作りかけの蒸気機関車C622に後ろ髪を引かれる思いであるが、見て見ぬふりをし休みの後半に期待することにした。
さて、旅行の準備である。今回は強行軍が予想されるので大きめのリュック一個に4日行程の荷物を積め、長引いた場合は現地調達とした。全天候型臨機応変の旅装を見てカミさんが吹き出す。大きなお世話である。五月連休の九州のお天気は猫の目と一緒なのである。忘れてしまったのか。(汗)

 荷物は重いが足取りは軽く経堂駅15:00集合である、今回は正統な東海道線を使った鉄道旅行であるので正々堂々と東京駅正門から入ろうと思う。新宿から中央線を使って東京駅を利用するのは裏口乗車である。従って小田急線から直通の地下鉄千代田線で二重橋前駅まで行き、そこから東京駅丸の内口から乗り込むこととした。

 地上へ出た。傾きかけた日差しが東京駅の赤煉瓦を照らし、風格が一層増したように感じた。
「そうだこの駅は、唐津出身の辰野金吾博士の設計だ。これからその佐賀県へ向かい同氏の設計による武雄温泉の楼門も見るんだ。」



東京駅に着いたのが16:00、さて18:03発の「さくら・みずほ」(以下「さくら」とする。)まではまだ時間がある。その昔の寝台特急であれば豪華な食堂車が待っているのであるが、近年は食堂車はおろか車内販売まで廃止される凋落ぶりである。これでは一歩間違えば飢え死にする可能性がある。(笑)

北国行き寝台は豪華になる一方、九州方面への寝台には国鉄当局(懐かしい)が全く力を入れていないのがよく分かる。伝統ある特急は次々と廃止され新幹線のみが気を吐いてるのも残念である。ただ、九州新幹線に「つばめ」が引き継がれ、往時の鉄道文化が復活する兆しが出てきたのは嬉しい。百間翁に叱られるのでここだけの話にするのであるが、長崎新幹線の特急名はきっと「かもめ」が引き継がれ、往時の特急「つばめ」、「かもめ」時代が戻り、西から東京へ向かって鉄道新時代が来ることを確信している。ただし、税負担のことを考えなければである。(汗)
その時代に向け、飛行機や車を捨ててもっと鉄道を利用しようではないか。

 現代の鉄道事情を考慮すると食料調達という重大な事情のために乗車前にゆとりを持たねばならないことをご理解いただけたと思う。
 さて、東京駅・大丸のデパ地下には、ないものがない状況である。フラフラしていると高級素材の試食呼び込みだらけで、これなら食事をする必要ないのである。しかしながら貰って食べるのは乞食である。只より高いものはないの戒めが浮かんだので手を伸ばすのを止して寝台車の宴会の買い物に集中した。まずはおかずセットを購入した。後ほど判明するのだが、呑む酒を考えず手にしたのが敗因であった。というのは、秋のボジョレーというのを喧伝しており、その後これにつられて今晩のメインドリンクをワインにしたのである。チリワインとともに2本購入したが、コルク抜きがない。我が家に溜まっているコルク抜きを改めて買うのも癪なので酔考さんの指導で開封してもらい車内へ持ち込むこととした。


    <物色中です>

「おや、主食がない。」という私の発案で普通ならばワインと組み合わせるはずのない高級アナゴ寿司がメンバーに加わった。支離滅裂、行き当たりばったりの買い物が、結果的に、鉄道の旅の結論は駅弁であることを気が付かせてくれるまでにはさほど時間を要しなかった。酔考先輩はどのように思っておられたかは未だに尋ねてない。
 さて、土産に持つは、この旅行を考えたときに既に決めていた「東京もんじゃセット」6袋である。走り回って売り場を探し、誰への土産か定かでないが勘を働かせて、とにかく六袋とした。

ここまで準備を整えても17:00前である。発車までにはまだ時間があるが、のどが渇いた。

「今晩の会合に参加予定のなかった麦酒君に会っておくことにしませんか。」
「おお、いいな。」

ということで駅の地下レストランで簡単なつまみを介して三者会談となったのである。(2004.4.29)







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