連休阿房旅行

2004年04月29日

「さくら」出発進行


4/29
 17:30 「さてホームにでることとするか。」 一昔前の東海道線の遠距離列車ホームには長旅への期待が満ち溢れていた。百間翁の昔は分からないが、私の覚えている民営化前まではゆったりした気分がまだ残っていた。ホームの左右にはブルートレインが停車し交互に発車し見送りの人もいて大変賑やかだった。ところが、新幹線ホームに浸食された今、優等列車でもホーム停車は瞬時である。見送りなんてとんでもない時代になってしまい当時の雰囲気は映画で見るしかなくなっている。

 <見よ!抑圧された在来線ホームを(汗)>

 次の特急の牽引車となるEF66が我々の乗り込む「さくら」を引いて入線してきた。この機関車の連結側を見ると次の下関行き寝台特急「あさかぜ」のヘッドマークを付けている。この機関車が連結を解いて後方に移動すると、今度は列車の入って来たホームの先の駐機場に「さくら」の牽引機関車が待機しており、これがバックして連結され、正規の編成となる。残念なことにこの作業は遙か前方で行われており乗客は時間的に見る余裕がないのである。翌朝の下関駅の機関車交換の際にご苦労様と云うまで編成を引っ張る大黒柱にお目にかかれないのは残念である。
以前は、「さくら」の機関車が自分の編成を引いて入線し、予備の線路を逆走して先頭に戻って列車を再連結する自己完結法であった。東京駅が狭くなり予備の線路がなくなるとともに通勤電車のホームと共用され、通勤客の目の敵にされるようになった東海道寝台特急が可哀想でならない。
自分の乗る列車を先頭から最後尾まで確認して歩くという芸当は、入線から発車までが短時間になったので極めて困難な時代になってしまった。

 我々の場所は、最後尾11号車の10,11下段2席である。この位置では明日下関での機関車交換を見るには不利なところである。さて、どうするか、一献やりながら考えることとした。
席に座ると早速酒盛りの準備と思いきや、数十年ぶりの寝台列車なので酔考さんは機材点検に余念がない。上の寝台を覗き込んだり、寝台の手摺りのセット、折り畳み式梯子を左右に開いたり畳んだりして感心しておられる。周囲の乗客は幸か不幸か年輩の小母ちゃんが多いようである。

「つまみはこれでよかったでしょうか。」
「買いすぎだよ。誰が食べるんだい。このアナゴ寿司は1個、100円近いよ。高い買い物をしたもんだ」
とか何とかおっしゃいながら準備を進め、狭いながらも今夜の宿の確保である。気になる開封したワインの瓶からも漏れた形跡はない。
列車が動き始めた。通常はここで電気機関車の甲高いピィーと云う汽笛が聞こえ、「出発だ」という気持ちを高めてくれるのであるが、最後尾では何も聞こえず急に動き出した感であった。東京駅のホームが通路側の窓越しに過ぎ去っていく。子供が手を振っているのは以前と変わりがなくホッとした。

「まずは乾杯だ。」、「乾杯!」 何を祝ってなのかはよく分からないのであるが、ワインがお腹にしみてくる。 二人でわいわい言いながら宴会を始めると、汽笛一斉新橋品川の台場も記憶にない。「鶴見神奈川あとにして、ゆけば横浜ステーション」あたりで2本目のワインに既に移っていた。大船の観音様がほの見えるとこれで東京から出立だという気分になった。
さて、馬入(相模)川を渡ると酔考さんの生まれ故郷「海水浴に名を得たる大磯えて波涼し」である。これから私の生まれ故郷に汽車で行くのである。途中下車せず直行するのは幾十年ぶりであろう。
同じボックスには諫早までという小父さんがいて酒盛りにお誘いしたが、既に飲んできたとのことで不参加。寝台での邂逅には貴重なものがあるのであるが、折角の機会を逃すとは運のない人である。以後、無視してしまう。そういえば翌朝もう一つの席が詰まっていたが、我々が降りるときまでカーテンは閉まったままであった。

そろそろお酒も底をついてきたので「はやぶさ」側に連結しているロビーカーへ移動し宴会の続きをやることとした。
久しぶりに見るこの車輌は薄汚れてきて、まるで場末のスナックである。やる気のない鉄道会社の姿勢が伝わってくる。自動販売機でチューハイを手に入れ流れ去る町の電灯を見ながらたわいのない話に終始する。第三者が見たら時間だけ過ぎ去るだらしなさの極致のぼんやり感が何とも云えないのである。でも、いささか眠気が増してきた。

「こんな色気のないスナックに長居しても仕方がないのでそろそろ納杯にしませんか。」
「そうだね。引き上げるか。」
という酔考先輩の素直さに救われ無事寝台へ戻りつき22:00就寝となった。普段の私としては、ずいぶん早いお休みである。しかしながら何故かコンプレッサーの音が大きくてなかなか寝付かれなかったのである。(2004.4.29)







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