連休阿房旅行

2004年04月30日

夜明け、そして武雄温泉まで


4/30
 いつしか夜が明けで5:40起床となった。長くて楽しいハレの一日の始まりである。寝付けないといいながらもやっぱりよく寝たようで早寝のせいかいつもより早く目が覚めた。寝台列車ではお定まりの行為であるが、通路側のカーテンを開くと瀬戸内海が見え隠れしている。そういえば、先ほどどこかの駅に止まったようである。多分広島駅のような気がする。
列車は、瀬戸内海海岸沿いをひた走り、大竹駅を通過したのを確認した。そろそろお腹が空いてきたなと思う頃、酔考さんお目覚めである。前回は、熊本での結婚に出席するために乗車したのであるが、そのときよりも一時間早い行動である。窓を過ぎゆく瀬戸内海の風景にしばし見とれる。
「にっぽんだねぇー」である。
柄にもなく瀬戸の花嫁が思い浮かんだ。

さて、徳山である。前回は徳山で乗り込んだ車内販売の弁当で飢えをしのいだと云うか、隣の車輌のロビーカーでゆったりと食事をしたのであるが、なかなか弁当が来ない。そういえば、連休のせいかいつもになく混んでいる。しかもここは最後尾である。最悪終着まで断食になりかねない。
現場監督経験豊富な私は、とっさにミッションを変更した。

「食事は、下関の豪華弁当にしませんか。それに電気機関車の付け替えもありますから。」
「なんだそれは、電気機関車が引いているのに何故代えるのだ?」
「海底を走る時は錆びない機関車で、海の向こうの門司でまた交換します。」
「なに!」

というように文化系の酔考さんには理解しがたい行為をJRはやっているのである。
大部分の乗客も何のことか分かっていないのだろう。
いっそのこと非常に珍しい機関車交換を説明付きでやったらどうだろう。寝台特急に乗っているお客にとって10分、20分のロスはロスとも思っていない心豊かなお客だからである。
心せかせか急ぐ人は飛行機や新幹線、一般特急に乗ることをお薦めする。

そのうち、新山口という駅である。そういえば新幹線にもそんな駅があったようであるが、耳に馴染まない駅名である。
新山口とは何だ、聞いたことないぞ。」
「はい、私も・・・・ひょっとしてここは見覚えがあるので小郡(おごおり)ではないですか。」
「そうだ、隅の建物の看板に小郡機関区か何たら区と書いてあるぞ。」
という次第で、ここは小郡であることが判明した。遺跡発掘のようである。

「困りますね。我々に相談もなく何の変哲のない名前に変えるとは」
「新を付ければ良くなるとでも思ったのでしょうか。センスないなぁー、小郡から津和野まで、おいでませ山口というのが正統に思えますね。」
「小郡というのがじょうちょがあってよろしい。」

駅弁であるが、予測は的中し、下関まで車内販売はこなかった。A寝台とは位置が違って何かと不便であるが、仕方がない。それではと勝手に下関での最後尾車輌のアクション体制を敷くことにして機関車付け替え立ち会い班と弁当購入班に分け、列車最前車輌へ移動することにした。車内はいつもになく乗車率が高いが年輩者と家族連れが多く、鉄ちゃんらしき若者は多いが、妙齢の美女は見当たらない。この種族は、空中を飛んでいるものと思われるが、鉄ちゃん諸君、君たちは見込みがあるぞと秘かに檄を送った。(苦笑)

 下関到着、機関車交換立ち会い班長は、この時点で目的を悟られたのでお任せをし、駅弁購入班は、車輌半ばに位置する駅弁売場へ急いで立ち戻った。
ところがである、酔考先輩にご賞味願うべきふく寿司が目の前で売り切れである。背に腹が変えられず幕の内駅弁を購入し、席に戻ることとした。何と不幸なことに車内販売に大量の駅弁積み込み現場に遭遇し、そこにふく寿司を発見した。これは買わざるを得ない。健啖家の酔考さんのことなのでこれくらいは平気であろうと考えてデラックスふく寿司をゲットした。
これで完璧である。何のミスもない今回の鉄道旅行である。やっぱり完璧だ。手順を見直して満足した。

<デラックスふく寿司>

     <拡大図、私は食べていません>

その証拠にやっと来た車内販売の弁当が我々の席の手前で完売となり見事に綱渡りができたのである。隣のボックスの小母さんが大いに憤慨するも流石手練の小母さん販売員、全く動ずる風もなく、「竹輪ありますよ。これもお腹の足しになりますよ。」と平然として云う。ここまで開き直られると返す言葉もない様子。我々の「紅葉饅頭もありますな、こちらが満腹感あり」と茶化す言葉にも苦笑いである。結局スナック菓子で飢えを忍ばれるご様子である。

若戸大橋を右に見た記憶があるものの、かくのごときドタバタを繰り返しているうちに列車は博多鳥栖と定時通過、吉野ヶ里遺跡を遠望するとやがて佐賀である。この間、頭が良くなるように太宰府詣での可否を論じたり、土産としたもんじゃセットの巨大さで果たしてこれらを持って有田陶器市を回遊するのかに悩んだ。
佐賀は県庁所在地であるが、そのことを思いめぐらすよりも次の旅程で頭が一杯である。

      58. ふたたびかえる鳥栖の駅 線路を西に乗りかえて
        ゆけば間もなく佐賀の町 城にはのこる玉のあと

バルーンの佐賀平野を通り抜けて長崎本線と佐世保線の分岐点肥前山口に定刻に到着した。
そこでやっと結論が出た。荷物は武雄温泉駅の一時預かりに託し、特急の10分後に来る各駅停車に乗り換える。
 肥前山口を出発し佐世保線は慣れ親しんだ駅である。大町北方そして生まれ故郷の高橋。周囲の風景は様変わりしている。このことは10年前の文章に書いたとおりである。幼なじみの社長の工場が更に拡張されているような気がする。
11:28武雄温泉駅到着、大慌てで階段を上るとコインロッカーがあったそれも大きなボックスが空いていた。心の中で「やったぁー」と叫んで格納し、ホームにとって帰した。(2004.4.30)







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