応援阿房旅行

2006年02月14日
熊本から東京へ


武雄からの続きがあることを失念していました。慌ててしめをすることにします。(2006.7.1)


2.14 - 2.15 熊本休息
 久しぶりに熊本の町を歩こうと思い立ち、電車道に沿って唐人町へ向かうことにした。 旧友をふと思い出したのは唐人町にさしかかったころである。連絡をとったところ唐人町で待てとのこと、その辺を散歩して待つこと十五分。昔と変わらぬ姿で古川君が現れた。三角骨董店がなくなり、そのあとの「塩と胡椒」という仏蘭西料理店で会食した。古民家再生、古材木利用のお店であり、古い家ばっかりの熊本にもかようなレストランが誕生しているのである。

  <一軒の骨董店がレストランと美容室に変貌>

 古川くんの本業は、建築士、古い民家再生も手がけているとのことであり、彼の設計事務所は百年経った蔵だとか。 古民家や古材木のことを教えてもらった。すぐ近くにマンション化するのを防いだ旧勧銀ビルがあるので一緒に見学させてもらった。ここ唐人町にあってホッとする雰囲気を残すビルである。明治十年にかけられた明十橋そばにある。

   <壊されずに残った勧銀ビル>


   <こちらは明治八年に架けられた石組みの明八橋>

町を歩き回り感じたのはどうやら新しいビルを乱立させるのが熊本県や熊本市の行政の方向のようであるが、ここ唐人町のような雰囲気を大切にしてもらいたいものである。古い城下町がこのままでは台無しになると感じた今回の訪問であった。 ビルが増えると都会になったような気がすると無邪気に喜んでいた昔の熊本気質が問題なのかも知れない。「なんさま、こん町は戦争で丸焼け(まっやけ)になりましたもんな。西南戦争たい。」と聞いた昔が懐かしい。
いつの間にか祇園町筋の古い問屋街が消え失せ、潤いのない通りに変貌しても都会になったぁーとまだ熊本人は喜んでいるのだろうか?
工事の進む新幹線と新熊本駅がこの流れに拍車をかけそうでいささか心配である。


2.16東京へ
午前、義母と買い物にでかけお土産を調達する。
帰宅の日はあっという間に時間が経ってしまい結局今回も熊本ラーメンを食べるタイミングがなかった。

16:43はやぶさ乗車、かなり空席が目立ちゆっくりできる。 のも痛し痒しである。(笑)
早めに休むが記憶が遠のいて今となっては殆ど思い出せない。 やっぱり武雄の旅で疲れ果ててしまったようである。


2.17 夜明け
6:00起床、浜松まであと30分である。
浜松駅を出て車内販売の放送。前から2両目の11号車では売り切れ必至のため朝食確保にまたもや走る。(笑)
天候は好転してきたが、東京方向は曇天模様である。金谷通過、大井川を渡り島田である。この辺でカミさんに途中順調の旨のメールする。やがて焼津である。

7:28静岡到着曇天である。この界隈はしばらく降りたことがない。今年こそ大井川鉄道へ行きたいのであるが・・・しばらく真面目に仕事することとする。(汗) と帰宅後の仕事を思い出そうとするが浮かんでこない。九州の旅でリセットしすぎたかも・・・

静岡を出ると次第に見慣れた風景になってきた。 由比あたりの海岸線で窓外を眺めやるがこの天気では富士山は見えないだろう。
東海道線そばに防波堤が続き、東名が出来るまでは海岸線が迫っていて絶景であったことだろう。
次第に空は薄暗くなり激しい雨模様になってきた。

海岸沿いの沼津・千本松原を遠望しつつ沼津、三島である。 やがて丹那トンネルを通り抜けると熱海である。8:30定刻発車。
熱海湾の沖に薄霞む初島を見つけたところでこの旅を終わりとしたい。
長い時間のご乗車ありがとうございます。


 佐賀県武雄市に若い樋渡啓祐市長の誕生を祝してこの旅行記を終わらせていただきます。 市長就任三ヶ月弱ですが、既に大活躍の様子です。つくづく応援にでかけてよかったと思います。 樋渡市長はこれからますますご活躍されることと思いますが、くれぐれも健康第一に、さらには奥様は当然のことながら、市民の皆さんも大切にして明日の武雄を築きあげて欲しいと思っています。(2006.7.1)

(武雄市役所)





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