クラカメ好きですか


原器なカメラ(ライカM3

 高輪台のマックカメラで見た光景で、明けても暮れてもライカが気になるようになってしまった。
クラカメ駆け出しの私は、ライカとはメートル原器と同等のカメラであるという妄想にとりつかれてしまい、この趣味を始めるからには兎にも角にもライカが全ての出発点であろうと恐ろしい決意するに至ったのである。(笑)どんな品物でもいいからライカと名の付いたカメラをを買おう・・・・・・・
 数日後、へそくり片手にマックに駆けつけ「M3下さい。」と今だから笑えるセリフで品物を依頼したのである。むろん安物しか買えないのであるが、M3を美品から並品までずらり並べてもらい「この中から選んで下さい。」という店員殿の言葉に背中を押されて清水の舞台から飛び降りたのである。今ならいざ知らず(?)当時の私に決められるわけがないのであるが。
 さて、ここは値段が最大関心事である。その次はファインダーの見え具合とシャッター音だ、と考えて、外見の汚れで最も安価であるが、ファインダーが綺麗で素直な音のする一台を選択したのである。これが現在も愛用している2回巻き上げ、74*74*という三桁ぞろ目の番号を持つ前期型であった。当時は、二回巻き上げは後期型の一回巻き上げに比べて安物扱いであったのだが、実は機械的には最高な出来で、シャッター音もその静粛さでは後期型を凌いでいるのだということを修理の鉄人H田さんから後日教わったのである。
 お金を払い終わると店員殿が「このカメラが一番良い選択だったと思いますよ。」とにっこりしてくれたので大満足であった。この店員がその後店長となったS氏と思う。マックカメラの商法は、仕入れ品をそのまま店頭に並べ、お客の目利きで買わせ、安い反面リスクもあるお店なのだということも理解せずに訪問していたようである。

 このM3は、その後件のO氏の紹介でH田カメラ店のH田さんの診断を受け、「浅草持ち込みは十年後にしなさい」とのお言葉をいただいて我が選定眼の良さに自己満悦したものである。数年後、名誉あるH田さんの弟子・修理ロボット六号氏のメンテナンスを受け快調な銘品になったのでこれからの活躍を期待している。むろん、持ち主の精進に待つこと大であるのだが、これは今からの課題としておきたい。

<大当たりだったM3ダブルストローク機・MRメータを付けました>

 更に、このM3の購入の際、複雑怪奇な面様で一度は敬遠したバルナック型も気に入ってしまい、こちらもM3に遅れて精進することとなった。今やM3よりも出番の多いバルナックを敬遠していたとは、食わず嫌いだったことをちょっぴり後悔している。
 一番最初のバルナックは、昭和22年頃のIIIC戦後型である。内部が赤錆て、無限遠ストッパが壊れたエルマー5cm/f3.5付きを異様に格安で手に入れることができた。リアリストの分解掃除の余勢をかって思い切ってこちらも分解掃除してしまったのであるが、幸運なことにこのIIICは、素人の分解掃除にもかかわらず快調な機械に変身し、しばらく手元で活躍してくれた。
 エルマー5cmの良さを味わったのはこのカメラである。とても写るとは思えぬ程古ぼけて汚れているのにどうしてどうして、庭の緑を美しく切り取ってくれたのである。これはきっとライカ大明神のおかげに違いないと感激のあまり手を合わせたこともしばしばである。
 現在、このカメラは、これもまた苦労して習得した革製品手縫い技術によって新品同様に蘇えった革ケースとともに友人の手に移り現在も活躍中である。聞けば、彼の伜への相続リストに入り相続人は一日千秋の思いで待っているとのことである。(笑)
 ところで、札幌では手にしなかったバルナック型カメラだったのだが、見かけとは全く異なる携帯性と慣れが必要なものの人間の手の動きを考えたような操作性に結局惚れてしまい今では様々の型式のバルナックがいつの間にかカメラ箱の中で増殖を続けている。







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