| 古いカメラに興味を抱いたきっかけの一つが当時最新鋭だったミノルタα(アルファ)シリーズを使ったことにあった。構えればズーミングし、構図までもカメラが決めてくれるのである。おまけに文句なしの適正露出である。眼鏡をかけている私には鮮鋭にピントを合わせることは至難の技であったが、それを難なくこなしてくれるという技術の進歩に驚嘆したのであった。ところが、全自動化に慣れるとともに、このままではカメラの奴隷になるのではなかろうかと腕の悪い私でも思い悩むようになってしまった。知性を働かすことなくモノが写る、これはおかしい、きっと嘘である。・・・・・・この疑問の答えが自分の技術次第で撮影結果が大きく変化するクラシックカメラへ向かわしたと思っている。 こんなことで踏み込んでしまったクラカメであったのだが、撮影結果は、なかなか思い通りにいかなかった。ピンぼけ、露出不良、フレア、艶のない絵・・・・・やはり古いカメラは駄目なのか?? しかしながら、時折仰天するような写りを目にすると、どうやらピントのみの問題ではなく露出とレンズの特性に合わせた光の捉え方が稚拙ではなかろうかと思い当るようになってきた。プロを気取って勘で写していたのを改め、慎重に露出を取って写すように心がけると、フィルム一本の露出が安定し、何とか人様に見せられる写真ができるようになってきたのである。 正しく調整されたレンジファインダーカメラでは、眼鏡使用の私でも鮮明なピントを得ることができ、マニュアル一眼レフで苦労していたピント合わせも大変楽になっている。特に、バルナックライカの拡大されたファインダーは、遠方の針先にもピントを合わせることができるような気持ちになるのである。 実際には、このように使えるカメラを持ちながらも不甲斐のない撮影結果はひとえに光の選び方にあったのである。露出の駄目な写真はやはり作品としては落第であり大反省をした次第である。 最近は露出計を必ず手元に置き、光に迷ったときは初心者に還って測光することにしている。手元にはいつの間にか露出計も増えて四台になってしまった。クラシックカメラには古い大陸系列の絞りや不等倍系列のシャッターが多いのでアナログメータが大変便利でありこれを愛用している。 このような苦労を重ねながらも古いカメラがイメージ通りの写真を撮ってくれる醍醐味は何者にも代えがたい。この喜びがあるからクラカメ趣味を止められないでいる。とは言え、その割には他人を納得させる作品がないのはまだまだ自惚れの域を脱していないのだろう。これもまたスライド品評会や作品出展を通して精進するほかなさそうである。 |
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