からくり日記

1995年10月05日

真空管

 世の人は、真空管と聞いてどのような連想をするのだろうか。世代によってずいぶん違うんだろうなと思う。最近の人は、高級オーディオアンプであろうし。戦前の人たちには途方もない電気技術であり、戦争に負けた一因と写るかもしれない。逆に、疎開世代の人達にはトランジスタに負けた時代遅れの産物と見えるのであろう。かくいう我々団塊の世代にとっては、格好の遊び道具であった。私のように電気技術を専門とした人種にとっては、真空管、トランジスタ、ICのいずれをとってもそれぞれが親しい仲間のような気がする。
 殊の外ノスタルジックな親しみを覚えるのが真空管である。もっとも、真空管を本来の目的に生かしたのは中学時代以降であったのでこの話は、割愛するが、とにかく、最初に出会った電気素子が真空管であった。当時の我が家には、戦前の早川電気すなわち、シャープの真空管ラジオがあってこれを頼りに生活していた。その頃出始めの五球スーパヘテロダインという高級なものではなく少しでも同調が外れると「ぴぃーっ」と音のする四球再生式の製品だが、このラジオから流れる情報が新聞以外に社会の動きを伝える唯一のものであったし、家族の情報源であった。この時代の家族は、ラジオによっていつも同じ情報を共有していたと思えてならない。
 ところで、このラジオが実によく壊れるのである。しかも同じ球が駄目になってしまう。球の頭部に金属の接点が付いているものであったので変調用の五極管だったかもしれない。しかもこの球が常に在庫切れなので一度故障すると十日間は苦痛なラジオ無しの生活であった。すでに当時でもかなり古いラジオだったのでメーカでも生産していなかった球だったのであろう。と、書きながらも当時の光景が次々に蘇ってくる。真空管とは違う話題なのでこれも別の機会に譲ることとする。
 当時はよくまあラジオを聴いていたものだ。学校における友達との話題は、ラジオで聴いた相撲、野球それに「紅孔雀」、「オテナの塔」、「厳窟王」などの連続ドラマのことがほとんどであった。民放では、「小天狗霧太郎」というのを覚えている。
 小学生の真空管利用技術に戻るが、近所の天満宮(俗称お天神さん)の傍らには当時町内でただ一軒の電気屋があり、そこに遊びに行くと色々な廃品を呉れた。ポピュラーなものは電池であり、バラバラにして中心に入っている炭素棒を集めるという、およそ現代では考えられない危険なことが流行っていた。(炭素棒をアーク灯の実験に使うという危険きわまりないこともやっていた(^_^;))
 これら廃品の中での宝物が真空管である。整流用の二極管は、見るからに単純で食指が動かない。が、五極以上の多極管には、俄然目の色が変わってしまう。複雑に作られた格子をガラス越しに覗くとまるで宇宙ステーションのような気がしてくる。小さな網や手すり付きの通路が真空の中に存在していると思うと子供心に興奮したものである。これら真空管はST管(Standard Tube)と呼ぶ底部にベークライト製のソケットが付いた大型のもので、その頃登場したガラスから直接ピンが出た小型のMT管(Minature Tube)に押されて斜陽の道を辿り始めていたので廃品が多かったのであろう。MT管は小さすぎて宇宙空間を楽しめないので宝物としての価値は低かったと思う。また、当時は新型高級品なので出回る量も僅かだったと思う。このとき集めたST管を持っていたら一山築けたかもしれない。(笑)
 これらのコレクションは、宇宙の建築物に触れたいという欲望の前に次々と破壊されて結局は屑箱行きとなるというお粗末であった。(1995.10.7)

<現在手元にあるのはアンプ用のGT管とMT管のみです。>







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