3月31日 何とか持ち直した空の下、先年亡くなった、熊本の岳父の墓参に出かけた。熊本は90年ぶりの春の長雨だそうで今日のような日和は珍しいとのこと。少しずつ天気は回復しそうな感じである。井芹川沿いを花園墓地に向けて車を走らせる。本妙寺を左手に見て墓地到着。子供達はバケツと帚を持ってさっさと墓所に走って行った。 桜花爛漫という言葉そのままの中を久しぶりに墓参りし、日頃の無沙汰を詫びるとともに家族の健康をお願いする。先日の武雄での墓参りもこのような天気であったらと思った。 墓参の後、更に桜見を続けることとした。
久しぶりの桜見物を兼ねて足を本妙寺の御霊屋まで延ばすことにした。墓地を横切り本妙寺の境内に入るが、僕はどうやらこの年迄、胸突きガンギと呼ばれる階段を登り切った本殿を本妙寺と勘違いしていたようである。今横切った人気の無いお寺が本妙寺で階段の終着点が御霊屋である。御霊屋、即ち清正公の墓所であり、その昔に頓写会(とんしゃえ)と呼ばれる行事に夜中に出かけたことがある。その時初めてお百度参りなるものを見ることが出来た。 何百という石灯篭の続く胸突きガンギを登り詰めて驚いた、昨年の19号台風によって鐘楼が吹き倒され梵鐘がポツンと置いてあるだけである。しかも本殿は周囲に足場が組まれ修理中である。周囲には割れて補修中の大きな屋根瓦が転がっている。 ワイワイしゃべっていると宝物館のおばさんの呼び込みである。つい誘われて中に入ることになり知らなかった本妙寺の勉強となる。興味深かったのは朝鮮の役の戦争孤児で当寺の住職となった新羅日遥上人の逸話とその育ての親、日遥上人の迫ってくるような文字の経文であった。 宝物館を出て、おみくじを引くことにしたが、僕は中吉。中庸の美徳で行くことにする。ところが、カミさんは、珍しく凶くじである。義母にいわれて再度挑戦すると今度は大吉である。おみくじ売りの坊さんに「差し引き零で何も無いということでしょうか。」というと、「そういう考えも出来ますね。」と言って笑っていた。義母は、大吉である。日蓮宗らしい明確なおみくじの結果の出し方だなぁと一人で感心してしまった。 ともかく、本日の大波賞はカミさんである。家族全体のおみくじの結果を総合すると吉というところでまずはメデタシメデタシ。 東京の祖母に厄除けのお守りを買い本殿を一回りし改めて清正公に家族の健康とますますの発展を祈念する。
本妙寺から一歩きして市電で辛島町へ向かう。市電に乗るのも久しぶりであるが、上熊本線はどうせガラガラだろうと交通局の経営を危惧しながら待つこと10分。ところがなかなかの混み様である。結構結構、これなら熊本市電もしばらくは大丈夫だろうと安堵した。昼食は、交通センター地下でカミさんがお好み焼きを食べようとしたが、やはり昔のことで既に閉店。仕方なく五車堂で懐かしの味を味わう。五車堂は、延岡で外科医をやっている旧友が「いい店を見つけたぞ」と学生時代に教えてくれた印象に残るお店である。そういえば東急インが建っている場所にあった後楽苑のソースかつランチをなぜか連想してしまった。僕はオールドファッションの五車堂ランチであるが、盛りとカツが小さくなっている。伜は、ダブルカツカレーをほおばっている。女性陣は、ランチとカレーのようである。 通町を散歩する。ダラダラした歩きに疲れてくるが、久しぶりの町並みはもの珍しい。目的の無い歩きもたまにはいいのかな? |
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