からくり日記

1996年01月05日

ゴム動力の潜水艦

 昭和三十年前半の文房具店は文房具の他に模型飛行機用のプロペラ、アルミ管、肥後の守、竹ひご、スクリュー、舵、ゴム紐など模型工作に使う材料や、模型飛行機や船のキットなどが沢山並んでいた。品物の種類からみると今で言う東急ハンズのような状態であった。
 夏になるとスクリューとゴム紐を仕入れて蒲鉾板を舟形に切り、底にスクリューを打ち付けて即席でゴム動力船を完成させ、近くの川で走らせていた。
もちろん、きれいにカットした船体とスクリューなどを組み合わせた船のキットも売っていたが、小遣い不足で手を出したことはなかった。また、この程度のものであれば蒲鉾板軍艦で十分であった。それよりも潜水艦のキットが欲しくてたまらないが、なかなか買って貰えない。
 ところが、どういうきっかけか忘れたが、このキットを買って貰ったのだ。嬉しくて嬉しくてたまらない。下手ながら喜び勇んで組み立てた。
部品は、木製の短刀のような形をした船体、艦橋、船体の前後部に付ける二組の昇降舵、細長い鉛製の錘、スクリュー、ゴム紐、それに飾りが多少あったと思う。
 組み立ては簡単でもなかなかうまく行かないのがこの潜水艦キットである。潜水・浮上をうまくやるには、鉛の錘を切りながら調節するということを理解していなかった。従って、組み立てて進水させると浮かぶもののある程度時間がたつと木が水を吸って沈没する。でも、書いてある通りに作ったのにと首をかし傾げていた。結局父に手伝って貰ったような気がする。
 この潜水艦がうまく動き出すと自宅の風呂では我慢できなくなり、広い場所でしかも回収可能で水中を推進している姿が眺められる銭湯、温泉で動かしたくなる。そのうち、隣町の温泉に行く際は必ず携行するようになった。
ところが、これが裏目に出て今でも額に残る大怪我をしてしまったのだ。
当時、隣町の北方町には明治鉱業の大崎炭坑があり、炭坑が職員はじめ地元の人に大風呂を無料で提供していた。父が仕入れに通っていた市場がこの近くにあり、時々利用していた。小学四年であった。縁側で学研の「四年の学習」を読んでいるときに父に誘われ自転車の荷台に乗って隣町まで出かけたのだ。まだ車の少なかった国道三十四号線を走りちょうど中間点で大きくカーブしている場所で片手に潜水艦を持ってサドルをしっかり掴んでなかったことが災いして砂利の中に頭から突っ込んでしまった。
額を五、六針縫う怪我であった。何故か現場から病院に着いて治療が終わるまで泣き声一つ立てなかったので医者や父は、その点を妙に感心していたようである。
潜水艦は、当然現場に遺棄してしていたのでそれが気になっていたのかもしれない。その場所を通る度に怪我した瞬間を思い出していたが、現在はどうなっているのであろうか。この怪我が、父と私を結びつける絆みたいになっており今でも傷跡を触ると死んだ父のことを思い出してしまう。(1996.1.5)







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