| 現代の子供達に忘れ去られつつあるプラモデルも私の時代には、最先端技術を集め、光り輝く未来を導くものとして写っていた。その頃の模型と言えば、ソリッドモデルであり、削って磨いて本物そっくりに仕上げていかなければ到達できぬものであって、技術的に洗練された人でないと手を出せなかった。その完成品はそれこそ目の玉が飛び出る程高く、田舎ではお目にかかることもなく、模型雑誌を眺めて涎を流すのが常であった。 ところが、この木製の世界にプラスチックが素材として登場し模型の世界を一般人に近づけてくれる画期的なことが起きたのである。 この現象に最初に気づいたのは、小学4年頃であろうか。隣町の武雄小学校の校門の前にある文具店兼模型屋で木製とプラスチックが混用してある軍艦の模型を目撃したのである。この軍艦は、確か重巡洋艦・愛宕か鳥海だったと思うが、船体がプラスチック、艦上の装飾品が従来通りのソリッドモデルの素材であった。いわゆる、ハイブリッドモデルである。軍艦らしい美しい流線型の船体を見て素晴らしいなぁと感動した記憶がある。この模型を見て間もなく模型屋にはプラモデルで溢れる時代が一気に押し寄せてきてしまった。 小学高学年から中学時代には、結構プラモデルに入れ込み、今でも覚えている素晴らしい製品や、駄作ながらも何故か気になるものを時折思い起こしてしまうことがある。 一番はじめに買って貰った大作は、「戦艦大和」である。日模製品でスクリューを二基持った当時では圧巻の製品であり、父親に見せながら作った記憶がある。 この頃、安いので良く買っていたのが、ムクのプラスチックで出来ていた世界の戦闘機のプラモデルである。 これは、お風呂の中で飛行させるとあたかも空中を飛ぶかのごとき姿勢で沈んでいくため飽かずに繰り返し水中を飛行させたものである。零戦、雷電、隼、疾風、変わったところでは震電という先尾翼の神秘的な飛行機と憎っくき米国のF4F、F6F,P38、P39、P41,P47、P51と言うような飛行機との水中空中戦で遊んでいたと思う。 P51といえばモーターを入れた台座の上に鎮座し、台座に付いた操縦桿や、スロットルレバー、機銃釦を操作してあたかもその機体を操縦するかのごときプラモデルもあった。まさにフライトシミュレータである。ところがこの模型を作る際に操縦桿と継ぐためのリンク部をバリと勘違いして切ってしまい、結局操縦桿がダミーと化してしまった苦い想い出がある。最も小学生の腕では致し方ないことであろう。 中学に入って隣町まで通うようになると更に模型屋通いに拍車がかかってきた。中学一年から二年までやっていた新聞配達のアルバイト料はほとんどプラモデルに模型へと注ぎ込んでしまったような覚えがある。 現代の子供たちがファミコン類のソフトに入れ込むのと同じ現象であったと思うが、現代は実体の伴わぬバーチャルなものへの興味が主流を占めているようである。我々の時代は手に触れ得る実体に執着していたのであるが、その癖は現在までも引き継がれており、年とともに更にその執着度が増しつつあるのを感じている。次は何を作ろうかと思い悩むこの頃である。(1996.3.27) |
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