思い浮かぶことども

2011.3.11 酔っ払いの戯言(たわごと)


 ブログにアップしていたのですが、自分で書いていたことを忘れそうなのでこちらに保存しておきます。
一昨年の衆議院議員総選挙前後のメモですが、思いは変わっていません。 この國の行く末を考えるとむしろ強くなっています。


負ける戦争はするべきでない
 数年前のことである。熊本に上通りという明治以来の商店街がある。その北のはずれに五高生時代の寺田寅彦やその先生の漱石も通ったという舒文堂・河島書が健在である。
この書店で発見して驚いたのが、日露戦争従軍者一覧・佐賀県杵島郡編である。我が父祖が戦争に赴き勝ち抜いた記録である。もちろん存じ上げている方はいないのであるが、しばしその縁故を辿る時間を持った。つまり立ち読みである。残念ながらその本は手元にないのである。理由は簡単、5万円という価格に涙したのである。

 それはさておき、市井の人が何処で戦ってどのような功績を挙げたのかを一人一人事細かに書いてあるものだから恐れ入った。このような記録が世の中にあるとは。勝ち戦である。縄なう父が囲炉裏端で過ぎし戦を語ったのはこの戦のことだったろう。

そういえば私らの親の世代が日露戦争の何倍も必死の思いをして戦い、完膚無きまでに打ちのめされてしまった先の戦争の記録は懺悔ばかりが殆どで、父祖がどのように戦い抜いたかについては殆ど残っていないようである。 身近だった父達が何処から何処へ転戦し、どのように戦ってきたのか全く知ることができない。断片的に聞いた記憶が残るだけで、既に住む世界を別にしてしまった亡父に今となっては尋ねることもできず大変残念である。原隊玉砕で名簿が消滅し、輸送船の沈没で生き残った僅かの兵隊達は軍人恩給も貰えず逝ってしまった。

戦争に勝つことと負けることは大きな落差であり、このように貴重な記録すら消え去ってしまうのである。いや、消されてしまうのである。

明治に遡ると、戦い勝利には快感のみが残るのか、日露戦争は薄氷の勝利であったことを忘れ去り、昭和に入ると世界一弱い軍隊との勝った勝ったの戦(いくさ)の末に巨大国家との戦争を始めての大敗北。先を読めなかった優秀な文武官僚諸君の反省は今に生かされているのであろうか?

反省などしていないからこそ経済という姿を変えた戦にも大敗北をしてしまったのだろう。と思うこの頃である。

さて、与野党交代してもこの本質は変わらないような気がしてならない。「まず政権交代を」とおっしゃる虚空を見る眼差しで政権を手中にしつつある大将、さらにはその奥に控える闇将軍には、果たして国を愛し国民を愛する精神はあるのだろうか? 媚びる民だけ愛するだけでは行き着く先は亡国ではないのかとつくづく考えてしまう。 流浪の民に媚びる政治、これは止めてもらいたい。また負ける戦に一直線のような気がしてならない。
思い浮かぶ傑人・西郷南州翁といえば「敬天愛人」であるが、このたびの「友愛」のどちらに政治の本質が入っているのだろうか? と思いが重なる。
以上は18切符の消化のためのぶらり旅でふと浮かんできた支離滅裂な酔っぱらいの戯言である。

そうそう、友愛とは身内をかばい合う愛ではないかと思う最近である。(2009.8.28)


人参
 鼻面に人参をぶら下げられると人はどのような行動をするのか。それが、掴み所のない淡雪のような人参もどきであったら中身は分からぬが外側は食べられそうなので尚更である。

  人参もどき = マニフェスト

と思いつつ数ヶ月、どのような状態か表面からしか伺いしれないのであるが??
この先、スカスカの中身がわかったら我々大衆はどういう行動をとるのだろうか。(2009.11.20)


糖衣錠
 甘い錠剤を舐めているうちにイヤーな味がしてプッと吐き出すのは子供。大人は我慢して飲み込んでしまうのである。しかしながら、その薬が効けばいいのであるが、とんでもない劇薬かもしれない。こんな状況が今の日本で生じている。薬を飲ませるのは医師ならぬ政権与党である。糖衣錠の外殻の分厚いのが以前の医師と違う特徴である。薬が現れた時は手遅れになっているような気がしてならない。(2010.4.8)


針の束
 昔の仕事上の一シーンをふと思い出し、先端技術を極めることは何かを考えた。数年前に関東の大手自動車会社研究部門の人と話す機会があり、私の素人考えで思い描いていたことがすでにバラックキットや具体的な製品として進められていた。色々あったとはいえ世界をリードしてきた企業はさすがであると感じたのである。 自動車などの総合機械は幾つもの技術の集大成である。その個々がトップクラスであり、それらのバランスをとったものを束ねてトータルでトップクラ スの製品となる。 特定の技術を針に例えるなら先を行く技術はより長く太い針の先にある。異なる形状の針を巧みに束ね一本の針に仕上げたものがいわば製品であり、自動車であろう。

世界一を目指す技術とは、このように細かなトップ技術の集大成である。トータルで一番を止めた途端に支える多数の技術が一気に後退してしまう。これを避けるためには大きな束ねの歩みを止めてはならない。資源国でない日本は先を走ることによって新たな資源を生み出していかねば生き延びることが辛くなるのである。

例の仕訳で「二番では駄目ですか?」という驚愕の発言を視聴して思い浮かぶ単純なる感想である。 パフォーマンスでは國を支えていくことは出来ないのである。(苦笑)(2010.4.8)





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