
思い浮かぶことども
2005年のことである。佐賀県武雄市の新市名が「湯陶里(ゆとり)市」ということにいったん決まっていたのでであるが、あまりの評判の悪さにもめにもめて結局もとの武雄市に決着したのである。 その頃呆れてしまって書いていたものが出てきた。 現在の樋渡市政が発足する以前の話である。 当時の市政のだらしなさに憤慨して帰京したのである。(苦笑) 「湯陶里市とネーミングとは度胸有るな。」と一緒に貧乏旅行をした酔考さんから笑われたのを思い出す。 その後湯陶里なる商標まで現れたのでいずれ世間の物笑いになったことであろう 武雄市のままでよかったなぁー と今でも胸をなで下ろす事件であった。(2009.4.15)
------------------------------ 湯陶里市は、武雄市が合併協議会を脱退するという乱暴なやり方で決着したのであるが、湯陶里という名前を冠しなかったのは何よりであった。合併協議会の空中分解の結果、嬉野町と塩田町が一緒になり嬉野市となり、新武雄市ができることとなった。
この湯陶里という名前に執着したのは何所のどなたであったのか東京在の私にはさっぱり分からないのであるが、武雄市の名前になりたくなかった嬉野町や塩田町が 湯陶里市を推進したのであろうと客観的に見てしまうのである。 というのも結果的には嬉野町がサッサと嬉野市になったのでやっぱり武雄とは一緒にならないための口実であったのかと考えてしまうのも歳のせいかも知れない。或いは属人的な問題が色々あったのであろうか?
ところで合併協議は本来であれば武雄高校の校区で推進すれば一番素直と感じるのであるが、高校同窓会などはどう動いたのかいささか疑念を感じ得ない。仲間がたくさんいる同窓会というまとまりが貴重だと思うのである。ちなみに武雄市、大町町、北方町、山内町、有田町、嬉野町が高校の校区であり、これらの合併がOBとして一番自然に感じるのである。
ところで、余談の余談ではあるが、 この「ゆとり」に代表される耳に優しい言葉がこのところ鼻もちならない。マスコミの報道等で気になっていたのであるが、年のせいか益々臭いものに蓋式の言葉遊びが嫌になってきた。 言葉を言い替えてもその本質は変わらないのに、言葉に酔いやすい国民性を逆手にとっているのかも知れない。その裏に隠された政治的な意図が見え隠れするのが厭でしかたがない。 これらの言葉をどのように感じるかは人によって異なるのであろうが、嫌なものはやっぱり嫌である。(苦笑)
ゆとり、ふれあい、なごみ、平和、さわやか、あおぞら、平等・・・・
何だか再生した銀行の名前のようでもある。どうやら言葉の衣で実体を隠しているようだなと呟きたくなるのが私の性癖なのかもしれない。 優しい言葉を使っている状況を客観的に見ればそこには恣意的なものが多いようである。従って耳に優しい言葉を聞くとつい身構えてしまう悲しい毎日である。(2005.9.15) |
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