からくり日記

1996年08月15日

町の機械工場・自転車屋

 子供の頃に住んでいた町には、三軒の自転車屋があり、学校が終わるのを待ちかねてこれらをはしご梯子して遊んでいたと思う。三軒のうち天神様近くのN自転車店が早い時期に閉店したので、その後は、父の友人のS自転車屋と新参のH自転車屋を中心に入り浸っていた。
特に、同じ町内で、同世代の子供がいたH自転車屋を溜まり場とし様々な技術をマスターしたのである。しかしながら、習得した技術で今でも役に立っているのは、パンク修理のみである。
 洗面器に張った水でチューブにあいた穴を捜し、紙鑢(やすり)で小穴の周りと補修用のゴム片をこすってざらざらにし、おもむろに缶に入ったゴム糊を両者に塗りつける、その際のトルエンと思える溶剤の臭気は、ガソリンエンジンの排気の臭いとともに、この年になるまでも記憶に残っている。昔の臭いは心地良かったと思うが気のせいだろうか?
 塗りつけた糊の乾き具合を見て、両者を木槌でトントンたた叩いて張り付け、はい一丁上がり。膨らましたチューブを最初と同じに洗面器を通し、あぶくが出ないことを見るのである。
 この一連の作業代が当時百円でなかっただろうか、それが現在では千五百円とは、高くなったものである。まあ、もっとも大の大人が三十分程度拘束されるためにやむを得ない金額である。
 この正当な修理技術の習得は別として自転車屋の片隅で学び取ったのは、スポークの銛、目立て鑢(やすり)のナイフというサバイバルの道具作成技法である。
自転車の車輪には必ず付いている(当たり前か)スポークをもらって、止め側の先端から三cm辺りを直角に曲げる。もう一方の先端は銛の刃先にするために、平たく潰して尖らせた上で返しを付け、ご丁寧に焼き入れまで施した。銃身は、近くのやぶ藪から細竹を切り出して作るのである。大小二段の構造として射撃の精度を上げることとした。太い筒には細い溝とストッパのための切り込みを付けスポークのL型の先端にゴムをかける。これでゴム紐(ひも)駆動の銛(もり)の完成である。

 一見、簡単そうで難しかったのが、目立て鑢のナイフである。まず、目立て鑢を手に入れるのが最初の難関である。次に鑢の研磨が更なる大問題であった。自転車店の小父さんの留守を狙って、グラインダーを回して鑢の目が無くなるまで磨き続けるのである。先端をナイフの形に加工するのが、高難度の技であって、とうとう私は、この技術を習得出来なかった。それでも、鑢がツルツルした面を見せるようになると日本刀のような鉄の輝きが現れるのでほくそ笑んだものである。
 この工程が終わると日本刀での焼き入れ工程を省略し、研ぎ工程に入る。この段階になると自転車店を飛び出し近くの小川で砥石になりそうな石を見つけて友人たちとおしゃべりをしながらの作業となる。その合間にくだんの銛を取り出して、泥鰌や蛙を獲物にしていたと思う。遊びながらの作業にもかかわらず、先端の角張った立派なナイフがいつの間にか出来上がる。このナイフの切れ味は見かけによらず素晴らしく、これを持って山歩きをするのが楽しみの一つであった。
 もちろん、腕のいい子供は、両刃の刀と見まがうまでに仕上げた鞘付きの銘刀を腰に下げ山野を闊歩するのである。(1996.8.15)







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