ポッポの煙

1995年08月25日

蒸気機関車の火花


 昭和28年頃と思いますが、夜の博多駅に動輪から思いっきり火花を散らして入線する蒸気機関車を覚えています。三組の動輪がいっせいに火花を散らして派手派手しくホームに突入する様は恐ろしくもあり、神々しい姿として記憶の底に残ってしまったようです。
 鋳鉄のブレーキ・シュウと焼き入れされた動輪の車輪が触れ合って動作し、その結果、熱を持った鉄粉が急激に酸化することで火花となっているなんて知る由もない子供時代の出来事でした。汽車好きの性格が少しずつ形成されていく過程が見えてくるようです。
 そういえば、更に幼児というか赤ん坊のころに昭和47年に亡くなった祖母が着物の懐に私を入れて今では無人駅となった佐世保線・高橋駅へ汽車を見に行っていたそうです。癇が強く、泣いてばかりの私も、汽車を見るとご機嫌になるのでホッとしたよと後年良く聞かされたものです。この時期がヲタク魂の原型を育んでくれたようでもあります。(笑)
 話を元に戻して、博多駅で見た汽車は、薄明かりの残る博多駅を出発し鹿児島本線香椎駅のすぐ手前を流れる香椎川の鉄橋を渡って本州を目指すのですが、この鉄橋も何故か克明な記憶としてあります。現在も当時とまったく変わらない光景が残っており、夜行寝台で九州へいくたびに朝もやの中に眺めることが出来ます。昨年の暮に九州へ出張のおりに実父の墓まで足を延ばした際にもいつもと同じ橋の姿でした。中年になって見ても鹿児島本線、香椎線、西鉄津屋崎線の鉄橋が三重に重なった光景は刺激的です。ましてや就学前の子供にはこの光景が更に印象深く残ったのかもしれません。

 ところで、その当時の博多駅は現在の場所よりも700mほど都心寄りに聳える煉瓦作りの重々しい建物でした。駅構内は、迷路のような通路を持った恐ろしい雰囲気の駅でした。駅近くの食堂街には30円で大盛りの博多うどんを食べさせてくれる「びっくりうどん」というお店があり汽車を待つ間ここに連れていってくれました。でもうどんよりも博多駅前を行き過ぎる西鉄電車や進駐軍払い下げで運転室後部の煙突のような排気管から煙を吐いて走る大型の西鉄トレーラバスを眺めている方が楽しかったような気がします。(1995.8.27)







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