ポッポの煙

1996年08月15日

ガソリンカーがやってきた


 小学四年生の頃(昭和32年)であったろうか、ガソリンカーという耳慣れない言葉が我々仲間の間を飛び交っていた。ガソリンで動く車だから自動車であると思うのは早計であって、なんとこれは、このころ九州の線路に登場した気動車、すなわちディーゼル列車のことであった。蒸気機関車が当たり前の時代に客車だけで動くというのは驚くべき現象であった。東京のような都会と異なり、絵本で見た電車しか知らなかった我々である。
 新聞に挟まって届けられる佐世保線・高橋駅の時刻表を学校に持ち寄り、ガソリンカーはどれだろうとワイワイ推測したことを昨日のように思い出す。ところで、本当にガソリンで動く列車がこの時代走っていたかどうか定かではないが、戦前の国鉄にはガソリンカーが存在していたので気動車=ガソリンカーであると当時の大人どもが勘違いしたのではなかろうか。ディーゼルエンジンが小型軽量になって普及してきたのは戦後になってからなので、この時代の先端技術の塊のディーゼルカーを試行的に田舎の路線に配備した様な気がする。
 この時代の、ガソリンカーがどの様な駆動方式を取っていたか不明であるが、日本では主流の「オイルクラッチ(流体継手)」、「トルクコンバータ」方式の気動車がその後、続々と国鉄のローカル線に導入され、電車に追われて既に地方に身を潜めていた蒸気機関車の駆逐に追い打ちをかけてしまったのは記憶に新しい話である。
 米国では、この頃、大馬力の列車制御に適したディーゼルエンジンで発電機を駆動し発生した電気で電動機を回すというディーゼル・電気駆動式機関車が普及して蒸気機関車を滅ぼしたのであるが、それぞれお国柄の事情はあるものの寂しい時代の幕開けであった。(1996.8.15)







トップへ
戻る
前へ
次へ