ダッチェス製作記

2005.4.6 ダッチェス製作記の始まり


ダッチェス製作記

 いよいよ初の4気筒機関車の製作である。今までと同様に製作記をまとめることにした。今までJNR9600C622製作記を作ったのであるが、振り返ってみると自分や家庭の歩みが機関車組立の中に織り込まれることに気が付いた。
JUMBOも同時期に製作したものの記録がないので印象が薄い。これなら今までに増して自己中心の製作記にしなければと思った。読んでいただく方には迷惑であろうが、自分の進歩(或いは退化)の記録として書き殴っていくこととする。勝手な進め方をご容赦願いたい。
とりあえず着手に至るまでのドタバタをまとめておくことにした。(2005.4.10)

ダッチェスとは、下記のサイトをご覧下さい。

http://www.southernsteamtrains.com/duchess.htm

4/6
 待ちに待ったダッチェス到着。お金は3分の2ほど払い、残りはローンにした。今の財力はこんなところである。時間をかけてじっくり楽しむつもりなのでまあいいだろう。梱包を解いてなかなかやるなと思ったのがケースである。段ボールであるが持ち運び取っ手や開閉ボタンがあり、まるでトランクである。

これなら部品を入れたまま我が家の工場と食堂を往復できそうである。実は、食卓工場に移動命令が出されたので家中放浪しなければいけなくなったのである。(汗)
この日は組立説明書を取り出し、ケースはそのまま二階へ運び終了とした。

4/7
 お客さんとの会合があり22時過ぎに帰宅、ということは部品確認に入ることの出来る状態ではない。今夜も説明書を頭に入れることにしたけど、やっぱり眠い。朦朧とした頭で理解できるわけがない。そのままダウン。
翌朝、早く目が覚め寝床で読み直すとなるほどと思った。やはり製作にアルコールは禁物である。
なにが理解し難かったか、潤滑油系統の配管が読みとれなくて悩んでいたのである。この機関車の潤滑油タンクはキャブ内にあってボイラーからの蒸気圧でエンジンに送り込む方式である。これまで経験していない方法なので運転時のオイル操作がどうなるか興味深い。オイル配管が過熱器の出力側へ接続されることを確認して納得した。
弁調整を読んで弁に動きを頭に入れようと思ったが、時間切れで次の機会とした。説明書を複写して汚れに備えることとする。

4/9
 休日であるが、世田谷界隈研究会の残党として花見へ参加したので本日も着手できなかった。梱包材である発泡スチロールを処分し、いつでも取り出せるようにした。いずれにしろ工場を移転しなければなかなかスタートできない。工具類や作りかけのカブースなどもまとめて移すことにしている。まだ作業台も整っていないが子供が使っていた学習机を保存していたのでこれを流用することにしている。
弁調整の部分を読み理解したつもりである。
梱包材を解く際にテンダーを出して眺めた。実にいい色である。真っ黒のテンダーよりも味わい深く、これならばひょっとして我が家で初のディスプレー機関車になるかも知れない。完成するまで家人には見せないでおこう。(笑)

4/10
 北裏鉄道の定例運転会の日であるが、午後所用が出来たので機関車を持たないで出席した。予定ではCLIMAXを持ち込むつもりであったがギャラリーとして参加することでご容赦願うこととした。
立ち上がりは、寂しい運転会であったが午後になると活況を呈していた。
ダッチェスと同じ運転方法のフライングスコッチマンを玉田さんが試運転していたので潤滑油レバー操作方法を伝授してもらった。説明書に記述してあるが、実際の操作感触で教わった方が分かりやすい。煙突からのオイルの出具合を見てほんの僅か開くと云うことにことに留意したい。

 帰路は桜並木、今年はきっと今日で最後であろうが、バスからの花見である。しかしながら目のかゆさが激しいので花粉はきっとピークであっただろう。 ということで4月の北裏運転記はお休みすることにした。
所用を済ませ、思い切って工場整備を行った。なーに、作業台を運び込むだけである。思わぬ暖かさに汗だくとなったが、倅に援軍を頼んだので意外に早く片づいた。取り急ぎ食卓近辺の工具類を工場(?)に運び込み今日の作業を終えた。さて、これから長い工場の整理作業である。これらをクリアしなければダッチェスには手を着けられない。気持ちよく製造日記を書けるよう環境を整えたい。







トップへ
戻る
次へ