からくり日記

1996年10月04日

無限軌道(キャタピラ)の話

 先日、自衛隊の富士演習場総合火器訓練の報道があり、九〇式戦車が轟音を立てて富士の裾野を疾走していた。近年の戦車には、タイヤ付きのものが出てきたようで装甲車と戦車の区別が出来なくなっているこのごろである。これまでの戦車につきものは、キャタピラ、すなわち無限軌道である。名前の通り多数の車輪の周囲を平坦な鉄の帯で包み、車輪は、この鉄の帯上を走っていくのである。ある瞬間を見た場合は、地面に接する部分の対地速度は、零であり、車輪は本体と同じ速度で移動し、接地面でない部分は移動速度の二倍の早さで前方に移動し下部に移動して接地面となるのである。このような話を書いた本を読んだことがあるのだが、何の本であったか失念してしまった。
 動いているキャタピラを眺めているとまるで、自分で道路を敷設しつつその上を車輪が走り去る様に見えてしまう。道路敷設を無限に繰り返しつつ進むキャタピラを無限軌道と和訳した先人のアイデアに感心してしまうのである。


  九〇式戦車・模型の無限軌道

 無限軌道がいつの時代どの様な背景から生まれたのか調べていないので恐縮であるが、日本で一般的に知られたのは、第一次世界大戦の英国のタンク登場であったようだ。むろん、それ以前に蒸気駆動の道路工事車両、農耕用トラクターに使っていたと思えるので欧米では常識的なからくりだったのかも知れない。
 無限軌道の目的は、凹凸の激しい悪路走破にあったと思える。人間の活動が拡大するに連れて応用範囲も広がり、山野、雪の荒野、泥濘(ぬかるみ)を自動車並の速度で走りうる貴重な機構になっている。
タイヤ等の円形の駆動装置が点又は線で大地に接しているのに比べ、無限軌道は面で大地に踏ん張っているのである。悪路の中で重い車体を線で支えるか面で支えるかのいずれの手段が正解なのかは自明の理であろう。
泥濘を面で支え、無限の道路と化した仮の舗装面を車輪が通過するのであるから悪路の状態からは想像できない安定した乗り心地であったろうと推測する。自動車のようにクッションがないからひどい乗り物だと言う人もあるようであるが、同じ条件の場合は格段に良いのではなかろうか。
 無限軌道の動作理論はともかくとして、戦後生まれの私は、実物の戦車を目にしたのはほんの数回であり、無限軌道を持つ迫力あるおなじみの乗り物は、ブルトーザーであった。
 昭和30年代の日本の道路は、悪路の見本の様な状況であり、至る所で道路工事が行われていた。古い道路を片側ずつ拡張しながら舗装していくのであるが、今にして思えば、あの工事を皮切りに自動車の増産が始まり、高度成長に弾みがついていったのである。工事は、まず古い道路を掘り下げて砂利を敷くのであるが、佐賀県の武雄地方は名だたる水害地帯だったせいか、いったん雨が降ると長い歴史が運んできた粘土質の泥が泥濘と化し一般車両は勿論のこと、大型のダンプカーまでもが泥の海に車輪を取られて立ち往生していた。この状態から筵や板を使っての脱出行が始まるのであるが、この光景が面白くも珍しくもあるため、学校帰りの僕等は良く見物に行ったものである。最も圧巻なのは、大重量のダンプが泥にはまって抜き差しならぬ状態に入ると、ブルトーザーが登場し、鉄のワイヤーを介してダンプを引き上げる光景であった。エンジン上部に延びた排気管からディーゼルエンジン特有の低い音と黒煙を吐き、地響きとともに無限軌道(キャタピラ)を軋(きし)ませててトラックを引き上げる姿は蒸気機関車を彷彿とさせてくれた。このように強烈な印象を与えるブルトーザーであったが、工事車両全体から見ると僅かな数しかなかったようで普段は滅多に見なかった。
 雨の後、車輪がはまりそうな轍(わだち)を探してそのトラップに獲物が掛かるのを心待ちにしている子供の集団。その中の一人が私であった。(1996.10.4)







トップへ
トップへ
戻る
戻る
前へ
前へ
次へ
次へ