| 小学校の放課後、すぐ近くの猪熊山に遊びに行くのが楽しみであった。この山は古代に狼煙場があったという伝説があり山頂近くには崩れかけた石垣があった。ここから数キロ南にある重要文化財のおつぼ山の神籠石遺跡との関連を思うと歴史上興味のある山であると今でも思っている。 その当時は、蝮(まむし)が多いという難点を除けば山遊びするのに最適の地区であり春夏秋冬走り回っていた。 実は、小学校の授業で木炭の作り方を学ぶと、早速教わった実験を繰り返していた。母方の祖母が愛用していた太田胃散の空き缶にマッチの軸を詰め、蓋に二,三ミリの穴を空けて七輪の上で蒸し焼きにするのである。小穴から白い煙が立ち上りやがてそれが出なくなると完成であるが、その間、白い煙にマッチを近づけると炎を出して燃え上がり幻想的な光景であった。できあがった小さな木炭を手に取り、もう少し本格的な窯で作ってみたいという欲望が広がり、件の猪熊山の遊びの中に炭焼き実験が加わった次第である。 これは山火事を引き起こしかねない危険きわまりない遊びであったが、当時の私らは真剣に教科書で見た炭焼き窯を作ろうと試みたのである。が、とてもそのようなものが出来るはずがなく、結局、赤土の小さな崖の上部に穴をあけ、そこを窯に見立てたのである。小さな煙突と、水抜きの斜め坑を教科書通り作り拾い集めた小枝を窯に詰め点火・・・・・しかしながら、一昼夜かけて焼くという時間的な観念が欠落しており、帰宅時間が気になって早いタイミングで開けるものだから単なる燃焼窯になってしまいこの実験は完全な失敗に終わってしまったのである。炭作りのメカニズムを理解せぬままにやったことによるお恥ずかしい話である、 理論があって経験が初めて生きてくるという教訓であった。 事故を起こさずにこの試みを止めたのは賢明だったと言うべきか、諦めやすいと言うべきか、折に触れてその光景を思い出してしまうのである。(1997.7.10) |
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