からくり日記

2002年07月04日

ビールもどきと百尋

(有田の嗜好品)
 有田の話です。といっても焼き物の話ではありません。からくりの話でもないので恐縮ですが今回は子供の頃からの食べ物の疑問を並べてみました。佐賀県では有田だけが他の地域と様々な習慣が異なっているように感じています。子供の頃からの疑問を解消したいのですが、納得のいく理由がなかなか見つかりません。
 有田と私の生まれ故郷はせいぜい10数kmしか離れていません。祖母と母が有田の出身なので長ずるにつれて武雄と有田の違いを感じるようになりました。最も顕著なのが食べ物でした。
奇異な順に並べるとトコロ百尋(ひゃくひろ)、胡麻豆腐糸切り餅を思い浮かべます。
 トコロは、生姜を細くしたような植物の根です。本当の名前を失念してしまったのですけど、山野に自生するカツラの根だと聞かされていました。秋になると俗に鼻天狗と呼ぶ三方放射状の種子を付けたツルを其処此処に見かけますが、これがトコロのツルと聞きました。鼻天狗、いやなに、この薄い実をツバキを付けて鼻に付けると天狗みたいになるので昔からそう呼んでいました。本当の名前は何というのでしょうか?
 山から採ってきたこの根っこをボイルし、ナイフで削ぎながら食べるのです。一見、痩せた生姜か薩摩芋のようですけど味はビールのような苦い味がした記憶があります。明治二十五年生まれの祖母は、「ビールは飲まないけどトコロは好きだよ。ビ−ルみたいだ。」と話していました。「飲めないのになぜビールの味を知っているの?」 「お父さんのビールの泡だけもらっていたからだよ。」と懐かしそうに語るのです。
 この煙草代わりのような妙な嗜好品が何故有田に定着したのか、全く見当つきません。検索エンジンで調べたものの見あたりませんでした。
トコロはいまだに有田の古老の間では食されているようです。90数歳になる友人の父上は14代を名乗る由緒ある有田の窯元でありますが、トコロが大好きで暇を見つけてはトコロをナイフで削り食されている由。意外や意外長寿の食べ物かも知れません。その倅は、「あんなもの嫌いだ。」と一言。これで伝統食が消えそうです。(汗)

 さて次の食べ物は、百尋です。大人の背丈の百倍あるというのが百尋のいわれですが、これは、鯨の小腸のことです。有田の魚屋では百尋を山積みにして売っている(いた?)のです。酒のみの父は、祖母や母が有田へ墓参りに出かける度にこれを所望し、子供達もお相伴していました。
渋谷のくじら屋で出される百尋は、直径10cm弱の小振りなものですが、当時有田で売っていたものは15cmもあるかと思える大きさでした。当時は巨大なシロナガスクジラをふんだんに食べていたのでこの鯨の腸だったと思われます。丁度太いロースハムのようなサイズです。小腸を縦に裂いて洗浄し、これをもとのように縛ってボイルしてあるのです。断面には腸の襞が見て取れます。ハムのように薄くスライスし、芥子醤油で食べると絶品です。少し独特の香りがしますが、慣れるとこの匂いとゼラチン質の感触が食欲をそそるのです。子供達が先を争って食べ合ったのは当然のことです。今思えば父は大変贅沢なつまみで飲んでいたものだと羨ましくも懐かしく思い出します。百尋を大皿に山盛りして飲んでみたいというのがこのところのささやかな夢です。
 当時よりも鯨が貴重になったので状況に変化はないと思いますが、昭和30年代の武雄市近辺ではこの食べ物を見かけることは全くありませんでした。鍋島家佐賀本藩の領地である有田と、竜造寺家の子孫である武雄鍋島藩では食習慣が異なっていたのかも知れません。
 そういえば、未だに謎が解けずにいるのが佐賀県内では滅多に見られない七月お盆です。佐賀市内に見られる七月お盆が何故有田にも定着しているのか、この習慣の差異は、鍋島本藩、支藩の違いから来たのではないかと考えてしまいますが、その真相は定かでありません。
 胡麻豆腐すなはち呉豆腐(ごどうふ)は、最近有田の名物としてとみに有名になりました。この豆腐は子供の頃から食していたので何処にでもあるものだと思っておりました。有田の名物として取り上げるのも今更なんだなと考えてしまいます。呉豆腐と云う呼び方は確かにユニークでありますが・・・・・・。 あの喉越しの良さ、忘れられない食べ物です。
 餅はどこにでもあるものかも知れませんが、有田へ行く度に祖母らが買い求めてくるので印象深く記憶にあります。長方形の軟らかめの餅なので切り分けるときは包丁でなくて縫い糸を使っていました。有田ではこうして食べるのだと聞かされたような気がします。ということで最後に紹介しました。
有田の方がこのくだりを読んでおられたら是非とも私の疑問についてご教示いただきたいと思っています。
(2002.6.22)

 その後、旧友と四方山話をしていた際に思いがけず百尋に話が及びました。何と我が故郷にも売っていたというのです。小さな町にもかかわらず魚市場までありましたが、ここで扱っていたとのことでした。いつも買い物をする近所の魚屋ではとんと見かけなかった食べ物だったので特殊なものだったことには違いありません。またまた謎が深まりました。(笑)(2002.7.6)







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