からくり日記

2002年07月17日

発動機自動車

 昭和30年代前半の佐賀の片田舎では、道路を占領して自動車が走り回るという光景に出会うことは滅多にありませんでしたた。旧長崎街道沿いの我が家の前を通る車と云えば三輪自動車が最新式の車であり、いつも目にする車は牛や馬の引く荷馬車が多かったと思います。正当な四つ車といえば武雄発伊万里行きのボンネットバスだったと思います。自家用車は、地元の病院にクラウン一台が導入されていた記憶があります。また、病院の院長が自ら運転するわけでもなく、お抱えの運転手が扱っていた時代でした。
 この時代から数年遡ると通りを走る自動車は皆無であり、小学校へ上る直前の私たちは、通りを遊び場にして走り回っていました。我々子供達に動揺が走るのが異様なトラックが走り抜ける一瞬でした。何が異様か、荷台から運転席にかけては普通の4トン半のトラックです。ところが、エンジンに目をやるとそこには大きな石油発動機が動いているのです。大きな弾み車が腕を振り回すように回転し、冷却筒から薬缶を沸騰させたように湯気を出しながら発動機特有のトントントンという大きなエンジン音を響かせて走っていくのです。城野(じょうの)さんという家の持ち物だったので車の呼称は「城野ブーブー」という幼児語で老若男女に定着していたようです。幼児を抱いた親達も飛び出して眺め、我が子に教えていたのかも知れません。
 とにかく存在感満点のトラックでした。この年になるまであのような驚異的な自動車に会ったことがありません。たとえ、ポルシェのXカーといわれる極秘の車を見せられたとしても発動機自動車に会った驚きにはかなわないと思っています。
 とは云っても幼年代の子供にはその構造が定かではなく、発動機と駆動系との接続がベルトだったのかチェーンだったのか、いまだによく分かっていません。一般常識で当時を思い起こせば、軍隊払い下げのエンジンなしトラックにあり合わせの発動機を載せてVベルトで変速機の駆動軸と繋いでいたのではないかと推測します。
 この時代、石油発動機は、農家の定置型動力として普及してきており、いたるところで目にしていましたのでエンジン自体には驚かないのですが、定置されるはずのエンジンがトラックとともに動き回る。これには畏怖の念を持って眺めてしまっていた次第です。
 石油発動機の構造は、一言で云うと横置き単気筒4サイクル水冷エンジンですが、ラジエターなどはありません。シリンダーを囲んだ水槽に水を注いで湯を沸かしながら冷却するという原始的なものです。むき出しの弁装置と大きな弾み車が特徴であり、写真を掲載すると「なーんだこれかぁー」ということになるのですが、残念ながら写真が手元にありません。エンジンの構造はともかく、このような石油発動機搭載の自動車をご存じの方は是非ともその詳細を教えていただきたいと思っております。

 さて、この石油発動機を理論的に学んだのは中学時代の技術家庭でした。この学科は先生の趣味だったかも知れませんが、即実物教育だったので大変楽しみな時間でした。発動機の構造は、教科書通りのエンジン構造なので大変教えやすかったのではなかったかと思います。シリンダーヘッド上に露出している吸排気弁は、カムからシャフトに至る動作を直接見ることができ、百聞は一見にしかずの典型例でした。エンジンの起動は大きな弾み車を回転させて行うのですが、そのまま回すと圧縮時には重くなるので左手で吸排気弁を押下しシリンダーから空気を抜きつつ右手で弾み車を勢い良く回すのです。この操作に慣れると大抵は一回で始動することが出来るのですが、そこは中学生です。なかなか上手く起動できません。結局、この発動機の起動が定期試験の一問題として与えられて学力に関係なく全員が頑張った記憶があります。
 この科目では、当時流行っていたスクーターの分解やら、真空管ラジオの組立、金工でのブックエンド作成と私にぴったりの授業が続き、毎週心待ちになるという希有な学問でした。こんな授業を受けたのが人生誤りの始まりだったような気がしています。(2002.7.17)







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