| 初めてカメラと云えばたいていは初めて所有したカメラというように解釈されそうですけど、よく考えると初めてカメラは様々です。記憶の初めにあるカメラ、初めて欲しかったカメラ、初めて買ってもらったカメラ、初めての自前カメラ、初破壊・初修理カメラそれに初めてクラカメと考えつきます。今考えるとたわいもないカメラだったのですが、それらの中で一番印象深いのが、我が家に最初に来たカメラです。 昭和38年高校一年の時ではなかったかと思いますが、キヤノネットが公式カメラとして到来しました。当時の記録では1万9千8百円という画期的な価格設定だったと思います。この安そうな価格でも我が家では10回払いの月賦だった記憶があります。まだまだ日本の庶民全体が貧しい時代でありました。ついこの間のことですから同じぐらいの未来にはまた貧乏な日本になりそうな此の頃です。 キヤノネットは、兄弟の多かった我が家で大活躍をしました。祖母や両親は撮られる側で今見ると私よりも若い姿で写っています。カメラマンは我々子供たちでした。写し手によって作品の雰囲気が違います。残念ながら一番上手な写し手は弟でありまして近所の写真屋のおじさんをして唸らせてしまった篠栗の八十八カ所巡りを撮った作品がありました。カメラは兄弟持ち回りで使っていたと思います。このカメラが最後にどうなったか。壊したのか、兄弟のうち誰かが持っているのか全く分からなくなっています。 同時期にキヤノンデミが発売されて初めて気になるカメラとなりました。 このキヤノネット時代がしばらく続いたものの大学に行って下宿することになると自分のカメラが欲しくなりました。でも、高いものは買えません。両親に頼み込んで買ってもらったカメラがミノルタSR1sでした。大変プリミティブなカメラながらも青春時代のショットは殆どこのカメラが撮りました。このカメラで撮り始めた頃からフィルムの保存を始め今日に至っていますが、この当時のフィルムは、薬剤がいつの間にか化学変化を起こしており、3年ほど前に数少ないカラーで撮影した久住山からの阿蘇の遠望を再プリントしたものの、あまりの痛みにフィルムともども捨ててしまいました。 ところが、ニコンのcoolscanIVというスキャナーがこの時代のカラーネガを見事に復元してくれたので一番気に入ったシーンのフィルムを処分したことを悔やんでいます。 就職をした昭和45年、訓練地の調布市仙川のカメラ屋でその当時流行っていたロッコール135mm/f3.5を入手し、初任地の名古屋で給料引き落とし分割払いを利用してやっとTTL分割測光のSRT101を買いました。まだまだカメラは資産価値があり支払いを終えるまでは生活が苦しかった記憶があります。従って、生活のために同期入社の友人にSR1sを引き取ってもらいました。 先日、その友人との宴席で、「君から買ったあのカメラはまだ健在だぞ。」と言われ感激しました。もちろん、SRT101は、その数年後の結婚するまでの過程や、産まれてきた子供達の成長の記録に活躍してくれました。今でもその思い出やカメラに付いた傷とともに大切に残してあります。フィルムを通す機会が全く無くなりましたが、記念すべき自前初購入カメラなので静態保存状態は続くことでしょう。 その他の初めてカメラにも色々思い入れもありますが、段々私生活の話へ脱線しそうなのでこの辺で終わりとします。(2002.11.17) |
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