| 小学校から中学校に上がると色気は当然のことながら知的興味はメカニックなものに湧いてきました。まずはエンジンです。なぜ自動車やオートバイが動くのか不思議に思ったのが小学生で、排気管から出るガスの力で動いているのだと真面目に考えた時期がありました。その時代は飛行機の動力がプロペラからジェットエンジンに変わっていく時期だったからかもしれません。バスの巨大なマフラーから排気ガスを吹き出しても大きな車体が動くはずがないなどと理解できない可愛い世代だった頃の話です。 エンジンの仕掛けが分かったのは、中学1年の技術家庭の授業でした。そのころ模型雑誌にも目がいくようになって世の中には模型エンジンというものがあるということに気付いたのです。 本を読むだけならば只だということで中学校の図書館通いが始まりました。すると意外な本が並んでおります。渡辺精一さんの「模型蒸気機関車の作り方」というライブスティームの作り方を書いた本です。後年、この渡辺さんと蒸気機関車クラブを通じて知り合いになることができましたが、残念ながら昨年お亡くなりになりました。この本を読んだ時は、世の中に蒸気で動く模型があってそれを自作する人がいるのだなと感激した記憶があります。そうそう、この本に登場する日本で初めてライブを作られた田口武次郎さんにも昭和53年頃お会いすることができました。当時92歳で矍鑠(かくしゃく)とされていました。 模型エンジンも図書館で調べ本物との違いが分かったような気がします。一番の特徴は点火プラグです。本物では数万ボルトの電圧で電気火花を発生させて、気化、圧縮された燃料に点火しますが、模型ではグロープラグという極小のコイルヒータを持つプラグを使います。電池で赤熱しておいて燃料を送り込むと赤熱したヒータに触れた瞬間着火するわけです。爆発、排気、吸気、圧縮という行程でエンジンは回り始めます、当然高温状態が保たれて電池を外してもヒータの赤熱状態は持続します。電気火花を使わずに動く仕組みは以上の通りです。実物で云えば船に使われた焼き玉エンジンと同じです。こちらは鉄の玉をバーナーで赤熱させてからエンジンを起動します。その昔、西海国立公園九十九島遊覧船の機械室でこの光景を目撃し、火事だと思ったことがあります。 どうやら、蒸気機関車といい模型エンジンといい金のかかるものばかりに目が行ってしまうのはこの頃の興味が尾を引いているようです。 現在の模型エンジンがどのように進化しているかほとんど知りません。昭和30年代後半の知識では、グローエンジンのほかにシリンダーヘッドに圧縮比を高めるネジを付けたディーゼルエンジンがありましたけど最近どうなったのでしょうか。 グロ−エンジンを手に入れたのは多分中学2,3年頃だったと思います。新聞配達のアルバイト料をつぎ込んだような気がします。飛行機や船を動かすと云う目的はなく、エンジンを動かしてみたいという気持ちで手に入れました。佐賀県の片田舎では簡単に手に入らないので博多のデパートで買ったような気がします。 もはや型番も何も覚えていませんが、エンジンの後部にルビー色の円錐コーンが特徴でした。これは小型の燃料タンクだったと思います。プロペラを付けたエンジンをテストベンチに載せ、排気口より燃料を少々注入して点火し易くしておきます。電池を上述のグロープラグに接続しスロットル弁を開きプロペラを指で回すと数回で動き始めました。説明書に書いてある通りにニードル弁を調整すると回転数が変化し甲高い音で回転します。確か、慣らし運転が必須だったと思いますが、マニュアル通り忠実に運転したと思います。しかしながら、あまりの騒音にクレームが出て運転制限を余儀なくされ、そのうちこのエンジンは分解組立の対象となり静的世界で遊ぶことが多くなってしまいました。 このエンジンに活躍する機会が与えられたには高校2年の時でした。所属する物理クラブで秋の学園祭に各自出し物をということになり、ふと思いついて90cmx50cm程度のホーバークラフトを作ることにしました。模型雑誌から製作記事を見つけ、バルサ材を懸命に削ってフレームを作りこのエンジンを組み込んで完成させました。100%手作り工作をやりとげたのは、後にも先にもこの時だけですが、結果はフレームのバランスが悪く右後部が完全に浮き上がらないまま学園祭を終わってしまいました。もう少し頑張って調整すれば良かったなと時々思い出します。その頃、同じクラブで写真の現像ばかりやっていたのがカンボジアで亡くなったタイゾーこと一ノ瀬泰造君でした。 その後、大学受験騒動に巻き込まれてこのホバークラフトもクラブに置いたまますっかり忘れて35年後の現在に至っています。どう処分されたのか気になるところです。(2003.4.6) |
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