からくり日記

2003年07月13日

電気音さまざま

 生まれて初めての電気工作は小学校での五寸釘にエナメル線を巻き付けた電磁石だったと思います。その応用で電動ベルを作りました。自動制御の原点である「電動ベル」から電気音にまつわる情景が浮かんできますので連想ゲーム風に書いてみました。
 昭和30年代前半は学校でも駅でも電動ベルすなわち、電鈴が全盛でした。授業中に突然大音響で鳴り出すベルは心臓が止まるかと思わされました。その反動で今でも嫌悪感しか残っておりません。とはいえ、何故あのように断続した音が出るのか不思議で仕方ありませんでした。
 乾電池で動く可愛い電鈴と異なり学校のベルは交流100Vのエネルギーで鳴るので大音響は当たり前でしょう。人の心に土足で踏み込んで来るような器械を今更好きになれませんが、幸いなことに電鈴は時の移ろいとともに引退し、静かな環境になってきたように思えます。まあ、色々ご意見もあると思いますが、あのけたたましいベルの音よりも現代の電子チャイムがよっぽどましだと思っています。でも、五月蠅(うるさ)い状態は年々ひどくなっているようです。
 好印象だったチャイムは今から十余年前に聞いた豊肥線・豊後竹田駅の発車の合図「荒城の月」でした。桜吹雪の中で鳴り響く「荒城の月」は今しがた歩いてきた竹田城跡の余韻そのもののような気がしました。
今求められるものは、「これは良かったなぁー」と云える時宜を得た電子音響の使い方だと思いますが、最近はこのような巧みな演出に出会ったことがありません。
 ところで、昭和27,8年頃の大きな音と言えば電鈴の他にサイレンがありました。小学校に入学する直前の市町村合併までは正午毎にサイレンが役場の屋根の上から鳴り響いていました。空襲警報を思い出すのか祖母や父母には大変不評でしたけど、小学校の放送室の電気アンプが唯一の知的大音響マシンであった時代にはサイレンは貴重な情報伝達手段だったと思います。
 サイレンは、円筒型の羽根車とスリット付き外殻が重ねた単純な機構の音響装置です。風切り音が増幅される訳なのですが、このメカニズムは調べておりません。ご教示いただける方がいらっしゃれば幸いです。
街の駄菓子屋には口で吹いて鳴らす亜鉛合金製のミニサイレンが並んでいました。プラスチックになってしばらく存在していたような気もしますが、これらのものもいつの間にか消滅してしまいました。
 町内毎に保有していた消防ポンプには必ず小型サイレンがついていましたが、子供達はこのサイレンを鳴らしたくて団員の父兄の操作する消防ポンプに群れていました。親公認で赤い消防ポンプのサイレンを思いっきり鳴らせることほど格好の良い話はありません。人様が何と言おうと、放水訓練の際に息が止まるほど思い切りハンドルを回して自分で大きな音を出すのは快感でした。
 当町内の消防ポンプは、自動車の運転台よりも複雑な計器と操作盤を備えていてトラックのエンジンで駆動する渦巻きポンプだったと思います。それでいて自走能力のない古くさくて大げさなものでした。
 この頃、各町内毎に消防団とポンプがありました。消防団は、一家の主人の社交場みたいなところで会合の度に宴会があったようです。死んだ父も喜々として出かけていました。そういえば町内には消防団の中核をなした大正生まれの人間で構成する「大正会」なるものがあって各家持ち回りでドンチャン騒ぎの宴会をしていたことを思い出しました。44年続いた明治の御代、この時期既に30数年経過した昭和、その世代に挟まれて先の戦争では同世代が多数戦死した14年間の大正。この背景のせいか分かりませんが、大正生まれの世代は大変連帯感のある仲間達だった記憶があります。消防団の分列行進は軍隊仕込みで大変素晴らしいと思っていました。
 この話はさておき、消防団とポンプは、街なかを流れる高橋川に時々集まって放水訓練を行っていました。ポンプ毎に微妙に放水距離が異なっており男の子は自分の街の消防ポンプを自分たちの放尿距離にひっかけて放送禁止用語で応援していました。(笑) 我が高橋町の古い消防ポンプは図体が大きい割に飛びが悪く隣町内の最新の小型ポンプに負けてばかりいるものだから小学校の仲間内ではで劣等感に苛まれていました。
この消防訓練を川岸から見ているときにポンプの筒先の手元が狂い水の直撃を受けたことがあります。いやその強烈なこと。川の中へ転げ落ちましたけど幸い怪我一つしませんでした。今となっては懐かしい記憶です。

話題が電鈴からいつの間にか消防ポンプへ飛躍してしまったのでお話も鎮火しそうです。この辺で終わることとします。(2003.6.24)







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