からくり日記

2003年09月20日

岩石採集

 今思うと大変不可解なことであるが、中学時代は岩石採集に明け暮れていた。現在の生活にその痕跡が全く残っていないにもかかわらずにである。既に取り壊されてしまった実家の二階座敷の床の間には採集した標本を祖母がきちんと並べて大切に保管してくれていた。学生時代の帰省の度に子供時代の趣味が古傷のように現れ何故か後ろめたい気持ちになったものである。その祖母が昭和46年に世を去っても標本は同じ場所に置かれていたのであるが、実家を捨て去る際に母がその残滓を渡してくれた。今でも手元に残る数片の標本がそれである。
古い引き出しにしまい込んだままになっていたこれらを最近見つけ、懐かしさのあまり凝視していると魔法の鏡のように石の向こうに昔日の幻が浮かぶのである。
 長崎県波佐見(はさみ)のオパール、佐賀県境をちょっと越えたところにオパールが産出するのである。当時有田の香蘭社に勤務していた伯父が私の趣味を聞きつけて陶石とともにオパールの原石数個を持ってきてくれた。もちろん、宝石屋に売れるようなものではなくて石の中に点々とオパールが入っていると云うだけのものであるが、伯父の心遣いが嬉しくて白い点を見ると剽軽(ひょうきん)だった伯父の顔が浮かんでくるのである。
 小さな二枚貝の化石は高校の裏山で、安山岩の中の微少な黄玉は隣町境の鉄道線路脇で、いずれも自転車で走り回って採集したのであるが、先行して待っていてくれた友の顔が・・・・今ではすっかりおっさんになっているにもかかわらず、石の向こうでは若いままである。
 あれ、この珪化木(けいかぼく)はどこだったっけ?隣町のそのまた隣の炭坑町だったかな?という具合に思い出せないものもある。その反面、既に散逸してしまった化石の葉脈がいやにはっきりと浮かんでくる。また、隣町境の峠の切り通しの上部には方解石、別の町境では水晶を沢山採集できたことをこれを書くうちに思い出した。
 中学校の3年間はかくの如く熱心に岩石採集に取り組んだ結果、学校での表彰はもちろん、県の教育委員会から何かの賞をもらったのである。ただしこの採集活動は私一人でなく当時気の合った4人の仲間で続けていたのであるが、きっかけは何だったのか定かではなく、クラブ活動の延長で顧問のA先生の発案で始ったような気がする。4人が予想外に熱中したので先生がこれ幸いと課題を引き延ばしながら与えてくれたのかもしれない。まあこれはこれで有意義な3年だったと思う。 固い部活だったせいかガールフレンドの一人もできなかったのが残念といえば残念であった。(汗)
 しかしながら、この研究を通して市内の岩石分布がいつの間にか頭の中に作り込まれ、水晶、方解石、前述の黄玉、各種化石、黄鉄鋼、頁岩、砂岩、安山岩、花崗岩等々瞬時に場所のイメージを描くことができるようになったのである。
 ところで、古墳時代の遺物の宝庫である我が故郷でこの方面の採集に邁進していたら今頃は考古学者だったかも知れないなと思うことしきりである。 岩石採集は地球の息吹に触れるものであり、人間の痕跡からは縁遠いものであった。そのせいで今の私のような機械オタクに変身したのでは無かろうかと往時の趣味を反省するのである。 いや、後の3人の仲間はいずれも文化系の道を歩んでいるのでやっぱり私の素質だったのかも知れないなとも思う次第である。
 戯れ言の日記になってしまったが、このところの仕事のストレスのなせる業である。平にご容赦願いたい。(2003.9.15)







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