
ライブスティーム雑記帳
日本小型鉄道模型倶楽部(JMRC)に所属していた昭和53年頃、交通博物館の定例会には、当時東京、いや日本で唯一のライブスティーム同好会であり、日本のライブ会の草分けの方々が集まっていました。日本で初めてスケールモデルのライブ1000号を作った田口武次郎さんを会長に渡辺精一さん、若手の筆頭の平岡幸三さんら多士済々の会でした。 ただ、今思うと各人が作っているライブ自慢あるいは技術ご披露中心であり待ちの姿勢で出席しても得るものが少ない会合でした。その中で積極的に色々と提案、あるいは若手を指導していこうとされていたのが平岡幸三さんでした。その頃確か三菱重工にお勤めでした。ボイラー事故を防ぎ小型鉄道模型への規制が起きないように水圧試験方法の提言、新技法によるライブの作り方等の講座を覚えています。 その会での話です。横浜在住のライブスティーマーでイギリス人のパインさんがお亡くなりになり、たった一人になった奥様はイギリスに帰国したいのだけどご主人のライブの遺品が山ほどあり、このままだと捨てることになるので平岡さんが中心になってその遺品の会員オークションが実施されました。 パインさんはその昔、NHK出版の趣味シリーズ「ライブスティーム」で平岡さんや、故田口さんと並んで紹介された南アメリカの3.5吋ガーラットを製作した方です。整然と整理された工房の写真が記憶にあります。 会員限定のオークションでありますが、当時の私には全く資金がありません。せめての記念にと誰も手を挙げないものを競り落としたのが真鍮専用の金切鋸(のこ)と鑢(やすり)でした。パインさんは金属毎に工具の手元を色分けしてあり黄色の真鍮を買った次第です。 もう一つ入手したのが「Livesteam」という米国の雑誌4年分です。これには平岡さんのShayの作り方が連載されており当時はどうしても欲しかった本でした。これに手を挙げたのが何と平岡さん本人と私でしたが、平岡さんは、「欠番があったので欲しかったのだけど、若い人に譲るよ。」と降りてくれました。この雑誌は20年間我が家の本棚で思い出したように読まれていましたが、平岡さんの期待を裏切り実際のライブ製造の参考にされることはありませんでした。最近、石炭焚きライブを作っている先輩に差し上げることにして強制的にご自宅に送り込んでしまいました。結果的には、氏の属されるライブの会の共通図書にされたと聞いてお役に立つことができたと喜ぶとともにパインさんの遺品である経緯をここに記した次第です。 オークションの売り上げは、旋盤やガーラットを始め作品の幾つかを含めてそこそこの金額になり帰国費用の一部がまかなわれたそうです。パインさんの奥様は大変感謝されて故国へ向かわれたと聞いています。 そのオークション会場だったと思いますが、平岡さんが別の話のために参考出品されていたのが3.5吋クライマックスでした。その時までクライマックス、ハイスラーという機関車のあることを知らなかったのです。この話は後日紹介するつもりです。(2003.8.31) |
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