からくり鐡道運転日誌

YLSC(横浜ライブスティームクラブ)訪問 (2004.4.25)


 十年ぶり以上にになると思いますが、アスターの玉田さんのご案内でYLSC(横浜ライブスティームクラブ)を見学させていただきました。かって所属していたのですが、横浜市緑区という遠さと仕事や家庭の忙しさからいつの間にか休会してしまいました。
今回は運転なしで伊藤会長やかっての知人にお会いする目的です。
長い時間が近所の風景を変えておりましたが、会場は以前のままです。
大正9年生まれの伊藤会長やクラブ員の皆さんはそれなりに年輪を重ねておられましたが、皆さんお元気でした。 会員の方の名前を失念し、なかなか思い出せません。既に亡くなった方もいらっしゃいます。
運転会の雰囲気は以前と変わりありませんが、会員増で事故防止のために利用線と使用者を白板に記載して運転する方式になっていました。昔は、「行きますよ。」というかけ声で使用していました。
 吉祥寺北裏鉄道でお会いした千葉さんが最若手で頑張ってます。この日はC622が2両参加していましたが、錘を積んだ10両ほどの重量編成客車を牽いて快走するC622を見て、自分の機関車を早く完成しなければいけないなと反省しました。(汗)
C622事故発生かという場面があったものの大事に至らず幸いでした。


 アスターが最近出したDBのE軸BR52が力強く走っています。蒸気が上がりすぎるので3本のバーナーを2本にしてこの調子とは驚きです。


アスターの製品は近年実に安定してきました。デティールも以前にも増して繊細になっており世界市場から待ち望まれるようになったことはすごいと思います。

当日、ご覧のような機関車もいました。


 午後、玉田さんのお誘いを受けて千葉さんとアスターを訪問しました。実は、渋谷・道玄坂にあった時代に行ったことはあるのですが、横浜に移転後は初めてです。二階のショールームに入って感心しました。これは素晴らしい。歴代の製品が壁一面にずらりと並んでいます。


 既に我が家にいなくなった懐かしい汽車、欲しくて欲しくてたまらなかったのにもかかわらず逃げ去った沢山の汽車達。一台一台感慨深く拝見させていただきました。 アレゲニーをまじまじと見たのは今回が初めてでしたが、逃した魚は大魚でしたね。(汗)
 これら多くの機関車達は、かってのカメラと同じように世界に誇ることのできる日本の工芸品だと思いました。個人や個人に毛の生えた工房で手作りされていたライブを量産品に近いレベルまで持っていったアスターの努力に敬服しました。
 これらの機関車を眺めながら次のようなことを考えました。機械製品の課題は、いかにその機能を維持するかです。しばらく動かさなかった機関車は、板橋さんのハドソン・リストアで紹介されているように全く機能しなくなります。これを元通りにすることは普通の人では困難です。この機能維持のための受け皿をボランティアでもいいから創り上げておかないとライブの普及は頭打ちのような気がします。一歩間違えれば大事故にもつながる高圧高温のボイラーを扱うわけですからメーカーと同好の士で考えていかなければならない課題だと思いました。
それはともかく、友人の友田さんに教えたいと思った珍品は、フランクSというLGBのライブです。R60をクリアできるというから驚きです。1.5kg/cm2という低圧なので扱いも容易だと思いますが、既にLGBでも完売とか、この汽車があればGゲージも俄然興味を引くと思います。友田鉄道でこのライブが走るのを夢見てしまいました。(笑)



YLSCからアスターへと脱線してしまいましたが、ライブのもう一つの課題は運転場所だということで玉田さんと色々お話ができました。
海外と違い鉄道マニアというとまだ白い目で見られているような気がします。いい大人が玩具の機関車に血道を上げて金を失っている。「文字通り鉄道ね。」とカミさんから嫌みを云われています。これをゴルフと同じレベルに上げるにはゴルフ場の万分の一いやもっと狭くてもいいから都区内に一つでも運転場があると普及は加速するのではないかと盛り上がりました。我々団塊の世代が時間を持て余すのももうそこまで来ています。YLSCのライブ運転会で元気なお爺さま達を見るに付け、ゲートボールに変わる爺(じじい)の遊びではなかろうかと我田引水してこの項を終わります。(2004.4.25)







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