ポッポの煙

2005年04月29日

小さな鉄道会社


 先日、我が工場の新築記念宴会で工場に集約しつつあるNゲージ群を眺めて我ながら驚いた。いつの間にか山のように(ちょっと大げさ)集まっている。Nゲージなので小さな小箱に詰まってしまうのであるが、数えると恐ろしい(汗)そんなわけで何台あるか全く分からないままである。その昔、PC88時代にDB化を図ったのであるが、汎用性のあるソフト形式でなかったので機種更改で消失してしまい、その後再興をすることはなかった。
従って、懐具合がよく、興味ある機関車に遭遇したらというわがままな条件で入手することを繰り返してきた。
そして最近はオークションである。2年ほど前、何故かNゲージが気になって覗き込んでいた。それも常人?が興味を持たないアメリカ型やらジャンクをである。 オークションは川の流れに大きな桃がドンブラコと浮かんでくるような感じで面白いものが出てくるのである。それらを拾い上げていたら意外な収穫になってしまい、あっと云う間に増殖してしまった。リバロッシを分解した部品、作りかけの真鍮モデルなどが一山幾らである。修理工場にとっては喉から手が出るほど欲しいものばかりである。
 NYCハドソン2両、ユニオンパシフィックU50、半完成貨車十数量、極めつけは乗工社のシェイも入手した。ちょっとオーバースケールであるがちょこまかと回るシャフトにちゃんとシェイの雰囲気が出ているからすごいのである。ナローと言った方がいいかも知れないが、逸品である。その後、ちょっと部品の欠けたKATOのグレートノーザン4-8-4マウンテン。ブルーグースのフル編成まで揃えたのである。そうそう、節操がないのであるが、欧州型もからくり度合いに触発されてDBのマレー型タンクBR96やスイスの超大型電気機関車クロコダイルを入庫させてしまった。
 こんな遊びをやっている時期にアスターJNR9600フルキットを発見し、一気にライブへ戻ってしまい、オークションは消え去ってしまったのである。
こんな訳で本人もよく覚えていない車両が箱に詰まったままである。1個1個苦労しながら丹念に集めていた時代のものは一つ一つに思い出があり、買った店、資金繰り、その頃の家庭が思い浮かぶから不思議なものである。
 BIGBOYは以前紹介したように昭和60年単身赴任解消記念に赴任旅費で購入した。その頃は泣きたいほど仕事がきつかったが、子供たちとよくプロレスごっこをやっていたことが思い出される。
ミニトリックスの青い米国型DLは航空路管制システム開発をやっていた昭和50年頃所沢駅近くの玩具屋の片隅で見つけた。、バックマン米国200周年記念塗装DLは長女が生まれた頃溝の口の模型店である。茶器のように一台毎に故事来歴を記せば面白いと思うのであるが、私だけの空回りのような気がするので躊躇している。
曰く、「稀代の銘品展示会。からくり鉄道の機関車たち」(笑)

 このような機関車や客車があるにもかかわらずレイアウトがないに等しい状態である。KATOの半完成レイアウトを適当に飾り付けているのであるが、箱根登山鉄を走らせるのが似合う規模でしかない。長大な米国の編成には全く似つかわしくない。 20年ほど前から暖めてきた構想があるのでこれを実現できないかと考えている。大規模ではないが、運転を楽しめるものである。実現してやっと鉄道会社を経営しているとこの場で云えるのであろう。今のところ極小の鉄道会社の運営に勤しんでいるが自由時間の増加とともに、大鉄道会社に変貌したいという夢想を抱いている。(2005.4.17)







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