からくり鐡道運転日誌

2005.9.4 北裏鉄道9月運転日記


(写真は後日追加します。)
 9月の運転会のあらましはブログで報告しましたが、成果の上った運転会だったので改めてここに記録することとしました。ただ、残暑厳しく、水も飲まずに運転に集中したおかげで熱中症一歩手前になったような気がします。
さて、この日のテーマは、空転防止のために動輪のニッケルメッキを除去したDuchessの性能確認です。実は前日の整備で潤滑油タンクに蒸気を注入する側のニップルがクルクル回るまで緩んでいるのを発見してキャブを外して締め直したばかりです。ここの締めの確認をしたいのです。潤滑油タンクは車体に固定されず入出力の2つのニップルで支えられており頻繁に扱うし、振動も伝わりやすいので緩んだようです。

 潤滑油タンクと言えば、北裏鉄道オーナーの高橋さんから本物の零戦用潤滑油タンクを見せていただいたことです。ニューギニア?から入手したそうですが、中心部は焼けてジュラルミンが溶けたような跡もあります。65リッター入りタンクで内部は小穴が数個開いた隔壁で分割されています。溶接ではなくシール材を挟んで密接に細かいリベットで組み立てた精密手工業製品です。現代では溶接で作ると思うのですが、当時はジュラルミンの溶接技術がなかったのでしょう。大変手間のかかる精密手工業的製品に70年前の日本の技術も捨てたものではないと感激しました。潤滑油タンク一つでもこの有様ですから、これらを集積した零戦のすごさには恐れ入ります。


 戦闘機のような最先端を行く機械とまでは云いませんが、作る技術が日本から逃げ出していることを憂慮しなければなりません。コストを追い求めて外国に製造を依存した結果、軒先を貸して母屋を乗っ取られてしまう状況です。負けたくありませんね。
作る技術は仮想世界の技術だけでは向上するものではなく、実物に触り、手を動かし、汗をかくことで身に付いていくものと思います。我田引水でありますが、クラシックカメラの修理、ライブスチーム製作などのマイナーではありますがモノを作り出す趣味を通して作る技術の裾野の拡大に貢献したいと思うこの頃です。でも、ちょっと無理がありますか。(汗)

 脱線ついでに北裏鉄道での四方山話をちょっとだけご披露いたします。
 8/28に熊本から8620すなわちあそボーイがいなくなりました。蒸気機関車は古い機械と馬鹿にされるのですが、日本の蒸機製造能力は風前の灯になってしまったようです。「金をかけレバ出来る。」 とんでもありません。レバタラを云えば時間だって戻せるし死人だって生き返らせます。貧乏な時代の技術の粋を集めて作ったものが蒸気機関車です。その時代にペイするコストで作り出したハイテク機械なのです。金に糸目を付けずに実現するというのは技術に対する冒涜であって金を積んでも出来ないものは出来ないのです。
バブルの時代に本当に大事なものに投資せず、ふるさと創生一億円で金の延べ棒や温泉堀に投資し、現在残ったものは何だったのでしょう。その資金のほんの僅かを産業記念物である蒸気機関車の体系的な維持に投資していたら技術伝承とは何かが理解されたかも知れません。現代に至ってもITバブルで儲けた金を古い機械に注ぎ込むセンスはバーチャル偏重の皆様にはご理解いただけないでしょうね。
米国、英国のように蒸気機関車の運転維持をボランティアでやるには、国の規制が余りにも強すぎて資金的に続かないと云うことを北海道のC623ニセコの例で証明されています。技術立国と言いながらも日本人は機械仕掛けが嫌いなのかも知れません。
やっぱり趣味と言えども、水と火で動く小型の機関車を技術の実証のために保持している我々は偉いのかも知れません。(汗)
とかなんとかで毎回盛り上がっています。

さて、私が運転会場に到着したのは10時半頃でした、いつものことながらその時間は早番のみなさんによる会場設営と第一次運転が終わっています。(笑)
全体像のレポートがないのは大抵その時間いないからです。従って運転会の全体像は板橋さんのレポートに頼ってしまっております。(ペコリ)
 Gゲージの線路に立派なGG-1が鎮座しています。ペンシルバニア鉄道の電気機関車ですが、いつ見ても蒸気機関車のような風格があります。煙草のピースをデザインした人の設計になるものだそうで、常連の原田さんが持ってこられました。
粛々と走る様は風格があり、このようなGゲージ会社を経営できればいいなぁーと思った次第です。線路を敷いていないと様々な妄想が湧いて煩悩を刺激するのでよろしくありません。(笑)
神田さんは、不調だったJUMBOを見事に復活し、更に自分の鉄道会社を強化されたようです。欧州鉄道車両群の充実には目を見張るものがあります。
小野寺さんの9600は最近とみに快調になって北裏の風景に溶け込むようになりました。
 さて私は、空転対策を施したDuchessを外周線で動かすことにして火を入れました。とりあえず単機で走らせたのですが、軽負荷のため音もなく走ってしまいます。YLSC先輩の片岡さんから「もったいない。客車をつなごうよ。」と助言があり高橋さんから急遽ブルトレ20系客車を4両車庫出ししてもらった次第です。

  <Duchess走行シーン 新堀氏撮影>

ブログに書いたようにこの改造で実に強力な機関車に変身し空転が全くありません。比較的軽い機関車の割には四気筒という強力なエンジンを積んでいるので粘着力を高めるには線路と動輪の摩擦をあげておくことが必須だったようです。
加減弁をほんの僅か開いただけでゆっくり動き出し、次第に速度を上げていく様は実物と同じ雰囲気です。勿論その際には四つのエンジンの排気音が比較的大きな音をたてます。改善前は加減弁を開けると空転が目立ち今日と同じ負荷で90度ほど開いて巡航速度でした。ところが今日の運転では10度も開くと巡航速度です。少し角度を開くと速度が更に上がってしまうと言う怪力ぶりです。弁を数回分中立側に戻し、戻り弁を全閉にして運転を継続することにしました。つまりテンダーからの水は圧力ポンプですべてボイラーに注水されています。
列車は残暑の中を淡々と走行します。安定しすぎて面白味に欠けますが、バランスのとれたライブはこうでなければいけません。もう少し引かせて排気音が高ければよかったのかも知れません。この状態で40分程度走りました。その間やったのはテンダーへの注水のみでした。燃料切れで運転を終え、片岡さんのRC化Bタンにバトンタッチして午前の部を終了しました。

 暑さのせいか午後の部も線路が空いています。それではと、燃料満載でスタートしたところ、50分ぐらい安定走行していました。ギャラリーからは一時間以上走るんじゃないのとヤジが飛んできます。運転後、メッキを取り除いた動輪面は僅かに磨耗したようですが、まだ鑢掛けの痕跡を残しています。走り込むにつれて機関車らしい雰囲気になることでしょう。



その後、午前中のガスバーナー不調を修復した千葉さんのC622と交代して本日の運転を終了としました。三丁目の夕日のウェザリングがとれてきたC622は快調な走りをしていました。(2005.9.4)







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