思い浮かぶことども

2004.5.23 帰去来


 今年の五月、連休を利用して生まれ故郷に遊んだ。その帰路、筑後柳川を友人と訪れた。友人は初訪問。小生は十四,五年ぶりである。柳川訪問記は旅行記として別に記すこととして、この地から連想するのは北原白秋であり、そして彼の歌の帰去来である。中国の有名な陶淵明のものは望郷の歌であるが、この歌もそれにも増して望郷の想いをつのらせた白秋の歌である。
私がこの白秋の歌をより身近に感じるのは有明海の雰囲気の漂う地域を故郷に持つからだと感じている。
 この歌は、大学時代に旧友と矢留小学校にある歌碑を訪れて始めて知った。それまでの白秋は、童謡の作詞家程度の遠い存在であったが、この歌を知ったことで大変身近なものとなったような気がする。それ以後、時折この歌を思い出すのであるが、日頃の生活に流され次第に忘れ去ろうとしていた。
今回、思いがけなく柳川の地を踏み、改めてこの歌を思い起こすこととした。


帰去来(北原白秋)

山門(やまと)は我が産土(うぶすな)
雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、
飛ばまし、今一度(ひとたび)。

筑紫(つくし)よ、かく呼ばへば
恋(こ)ほしよ潮の落差
火照(ほでり)沁む夕日の潟。

盲(し)ふるに、早やもこの眼
見ざらむ、また葦かび、
籠餌(ろうげ)や水かげろふ。

帰らなむ、いざ、鵲(かささぎ)
かの空や櫨(はじ)のたむろ、
待つらむぞ今一度。

故郷やそのかの子ら
皆老いて遠きに、
何ぞ寄る童ごころ。


 歌全体が白秋の故郷、柳川を思う心に満ちあふれているような気がする。一昔前までは年寄りの繰り言めいた歌だなぁーと思っていたのであるが、白秋がこの歌を作った頃の年齢になるとともに心に響くようになってきた。そういえば、漱石の著名な「草枕」全編をじっくり読んだのは恥ずかしいことに50歳を過ぎてからである。

帰らなむ、いざ、鵲 かの空や櫨のたむろ、
待つらむぞ今一度。

 この一節に白秋の思いがこもっているように感じてしまう。 私の生まれ育った雄市朝日町高橋の高橋天満宮の公孫樹(いちょう)に作られたカササギの巣、稲刈りの終わった田圃の上を舞い飛ぶカササギの黒い羽にある白い模様と真っ赤に色づいたクリークの櫨の光景が私の原風景である。
日暮れまで遊んだ生まれ故郷の新堀港の干潟が柳川の沖の端漁港と相通じるものがあり白秋と思いを共有している点に今回の連休旅行が気付かさせてくれた。


<沖端漁港の干潟、武雄市高橋の新堀津とそっくりです。(酔考氏撮影)>

 人間の頭脳は年とともに衰えるのであるが、若い日に刻み込まれた思いは最後まで残っているようである。近年記憶したことどもが綺麗に洗い流されて行くにつれ、このように純粋な日々に焼き付けたことが印画紙の現像のように次第に浮かんでくるのであろう。
こんな状態を喜んでいいものやら悲しむべきことなのか、よく分からない。不惑もとっくに過ぎてしまい、還暦も近づいてきた迷える中年である。(汗)
それはさておき、今年の連休は、佐賀平野でカササギに出会えず大変残念であった。再会を期したいと思っている。(2004.5.23)





トップへ
戻る
前へ
次へ