思い浮かぶことども

2003.3.8 蒸気機関車から感じる文化


 ライブスティーム熱に浮かされているこの頃であるが、日本ではマイナーな米国型蒸気機関車への興味が相変わらず継続している。子供の頃見た絵本にビッグボーイと思われる巨大な機関車が載っていた。それが米国型蒸機との出会いであったが、その機関車について周囲の大人に質問しても「始めた見た。」というばかりで納得のいく答を得ることができなかった。そのうちこのことはすっかり忘れ去っていたが、昭和50年頃再び模型鉄道熱が再燃し、高田馬場のカトーホビーセンターに通ううちに件の機関車を思い出し、輸出用として並ぶ米国型Nゲージを幾つか手に入れ勉強が始まったのである。
 米国の鉄道は、実に面白い。しかし、最近であればHomepage検索で米国の情報を一瞬のうちに入手できるのであるが、当時は著名な模型誌モデルレイルローダーや同社から出版されているレイアウト作成本の購読で大忙しであった。それらから学んだものは、加工の精密さに走る日本の模型鉄道ではなく、論理的に展開される模型鉄道の世界であった。なるほど、MITの模型鉄道クラブの面々がUNIXの進展に大いに寄与したという話に納得できるのである。日本の本と異なり、これらの本は、地理学に始まり地質学や植物学、当然のことながら鉄道工学を解き明かした上で模型の話に入るのである。また、鉄道模型エレクトロニクスの本は、オームの法則から始まり抵抗やコンデンサーという素子の話、更にはダイオードによるルート制御マトリックス回路、たかが模型の本でも終章では理解し難い高度な回路の提案に至っているのである。このように順序立てて論理展開する国と非論理的な我が国が何でまた戦争など始めたのだろうかと思いながら模型の本を読み耽っていた記憶がある。非論理であるが故に仕掛けられたことも分からぬままに真珠湾に手を出してしまったように思えてならない。この傾向は、今の日本、いや、私自身を含めて昔と変わらぬ農耕民族の特徴かも知れない。
 ところで、米国型機関車の最大の特徴は、その巨大さであるが、理由も無く大きくなった訳ではなく、輸送の効率化は、単一の輸送ユニットの巨大化が最も効果が大きいという輸送論の回答なのである。戦時下においてあの広大な国土の東西を結合するには1マイル列車といわれる長大な編成の運用が必要だったのである。戦力は兵站に依存する。そのため機関車のお化けであるビッグボーイが生み出されたのである。
 我が国の鉄道のモデルというべき英国の鉄道は何故あのようにコンパクトなのかは大英帝国が海の帝国であり、陸の帝国ではなかったからではないだろうか。米国との国情の違いを考えると理解できるような気がする。
 これらの背景を元に戦前の日本における鉄道と軍隊とのバランスを見ると妙な気がする。鉄道システムは英国のそれを導入し、コンパクトな鉄道が日本国中に張り巡らされた。ところが、軍事システムは戊辰戦争の延長線で戦略性のないままに防御から攻撃へとなし崩し的に質を変え、最後はビッグボーイにも相当する戦艦大和を保有するに至った。ところが貴重なお宝群の運用を完全に間違ったのである。
 どうやら物事を俯瞰して眺めた上で方針を定めるという戦略性を持てないのが日本民族の体質のような気がしてならない。戦略という言葉は実に大好きな国民であるが言葉に対する厳密性が欠落し言霊に酔ってしまうのは毎度のことである。修飾語の多さ、外来語の氾濫、実はここに原点がありそうである。(現実もそうではありませんか?)
 話を鉄道に戻せば、英国は、海の国家であって陸の国家ではなかったのである。海の国家に適合する鉄道は英国型であり、英国をモデルに日本は偶然にも海の国家の国策に適したシステムを選択したと思われる。南満州鉄道が陸の国家・米国に範をとったのも納得いくことであり、昔の鉄道省の戦略性には恐れ入ってしまうと勝手に考えている。ところで、現在の新幹線は一体何を目指して作られたのだろうか。
 英国では完成された機械を優雅な姿に変貌させるつもりなのか、蒸気機関車の緑色の車体には金筋の縁取り、更には列車の名前を記したエンブレムが両側を飾っている。小豆色や黒などの数種類の色があるようであるが、いずれもワックスを掛けたように艶やかな車体である。エンジンは、3気筒、4気筒という恐ろしいほどの工芸からくりを持っているにもかかわらずあの優美な車体で微笑んでくるのである。欧州型というべき考え方かも知れない。羊の皮を被った狼・BMWという云い方があったのを思い出した。
 一方、米国では蒸気機関車と云えば機能むき出しの車体である。機能の進化に合わせて変幻自在であるかのようである。ゼントルマンを標榜する国家とフロンティア精神の国家の国民性の違いであると云えばそれまでである。
しかしながら米国型に惹かれる私は、ゼントルマンではないと云うことか。(汗)
 前に書いたように米国の巨大な蒸気機関車は、より円滑な戦争遂行のために作り出されたものであった。戦時中にデビューしたビッグボーイは仕方ないとしてもそれ以前の大型機関車の存在が日本で知られていたかはなはだ疑問である。小学六年の頃、昭和5,6年頃の伯父の本「子供の科学」を家の倉庫で大量に発見し読み耽ったことがある。この本は当時の科学少年が愛読した小学生向けの有名な雑誌であるが、記事の内容は、今考えてもかなり高度な本であった。同名の雑誌は現存しているが、似ても似つかぬお子さま向けの本になってしまっている。同じ小学生でも昭和初期の子供たちのレベルは現代よりずーっと高いと思わされる雑誌であった。世界五大強国という自負心がなせることだったのかも知れない。その観点でジャパンアズナンバーワンの時代を時代を振り返ると世界一ということがとんでもない思い違いであったことに気付くはずである。故山本夏彦氏の「戦前という時代」を熟読することをお薦めする次第である。
 ところで、「子供の科学」は、蒸気機関(車)の記事が毎号満載あったと思うのであるが、米国型について言及されていたかは定かではない。世界に冠たる(汗)満鉄のパシナの記事は多かったと思う。満鉄の鉄道システムは、米国鉄道のコピーだなんて云うことは決して書いてないのである。当時の満州の子供達は、シュッシュッポッポとは云わずカンカンポッポと云っていたと著名な作家が書いていたのを読んだことがある。カンカンという音が米国型鉄道の象徴であることは云うまでもない。それにカウキャッチャーである。
 過ぎ去った歴史には、「もし」はないのであるが、もしこの巨大な鉄道システムの存在が客観的に報道されていたならば米国に挑むという愚挙は起こり得たのであろうか。自動車という夢の乗り物よりも蒸気機関車という日本では身近なもので比較していた方がよっぽど分かり易かったのではないかとつい考えてしまうのである。
 翻って現代の報道を見渡せば、相変わらず科学的な論拠が感じられない感情的で推測混じりの報道の多いこと。読み手における無知の幸せ、無知の恐怖。この先一体どうなっていくのだろうか。
 「敵を知らず己を知らずして百戦すれば必ず危うし」とは数千年昔の孫子の言葉である。
「汽車文化を知らずして國策を論ずることなかれ」とは、小生の言葉である。(笑&汗)(2003.2.23)





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