思い浮かぶことども

2002.12.30 もの作り文化再考


 最近のことであるが、もの作りへの回帰についてマスコミ等を賑わすようになったように感じる。このホームページを立ち上げた私としては嬉しい時代になってきたとほくそ笑んでいる。しかしながら、これまでの拝金主義、仮想文化偏重によって被ったもの作り文化の被害は大きく、真のもの作り文化の定着には幾年かかるのだろうと気懸かりである。
 もの作り文化の頂点とも云える江戸時代のそれに惹かれるこの頃であるが、江戸の町の水道システムは別として、この時代は社会のインフラになるような大がかりなものは少ないようである。ところが、衣食住という身近な世界で利用する品物には品質も極めて高く、現在でも追随不可能な素晴らしい製品いや工芸品が多いように感じる。これは単純に「日本人は手先が器用だから」という一般常識で結論付けられるものではなく、武士や商人の旦那衆と云った階層が極めて高い文化度を持ち得たという封建制度に起因するのではないだろうか。 
 つまり、支配階級が高度な芸術作品への理解が高く、その階層を支える一般大衆の芸術センスもいつの間にか引き上げられて現在の我々を遙かに超えるものを持っていたのだろうと思えてならない。古伊万里、浮世絵、根付け、指物道具等の当時の中産階級が愛したものを眺めればご理解いただけるのではなかろうか。ましてや色鍋島の息を呑むような色合いとデザインの素晴らしさ云うまでもない。
 暗い封建制社会と云われてきた江戸時代は、実はもの作り文化という領域においては現在を越える感覚を有していたのであり、支配階級の高い芸術性が社会全体の芸術感覚を上げていたと考える。従ってこの文化を支える職人、道具、材料の質も高く飛び抜けていたのである。(能、謡曲、歌舞伎、浄瑠璃、等の無形の文化についても現在を凌駕していることはご承知の通りである。)
 もの作りを見直そうと云う最近の風潮は、長い目で見ると日本の再興につながっていくと思えるのであるが、温故知新という観点から云えば指導層が高い芸術センスを持つことで社会全体の嵩上げを図ることができると考える。しかしながら、現代日本の混迷を見るに付け、江戸の文化度に到達するのは大変困難に思えるとともに彼の時代への理解度が乏しかったことを反省している次第である。
 明治になるまでは、武士道が精神面において社会全体を支えていたということは新渡戸稲造の「武士道」で諸兄の知るところであるが、もの作りでも同様な社会構造があったと云えそうである。
 この様な時代に私の出来ることと云えば、せめて趣味の世界で往時を思って職人生活を送り、些かながらももの作り文化に貢献できるようにしたいと考えるものである。
我が趣味、我がホームページの存在意義を以上のように弁明するのである。(2002.12.29)





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