応援阿房旅行
20062.7. 九州入り・博多で休息 山陽本線柳井駅発車とともに6:30起床。柳井には、まだお会いしたことはないのであるが70数歳のカメラ・メル友、藤*さんのお住まいの地である。ここを通る度に甘露醤油と柳井縞という名産をイメージするようになった。これも明治33年に作られた鉄道唱歌の偉大な力である。 これから向かう武雄も実は鉄道唱歌に登場する有名な温泉なのである。鉄道唱歌の復活で我が故郷も再び脚光を浴びるに違いない。樋渡君に教えようかなと思った。でもまあこんなことを思っているのは私だけかも知れない。(汗)
24. 風に糸よる柳井津の 港にひびく産物は 甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味
洗面を済ませ流れる景色をぼんやり眺めるが、一昨年、酔考先輩との連休阿房旅行と異なり季節が三ヶ月も早いためか瀬戸内海は薄暗い夜明け前である。雲行きも怪しく今にも泣き出しそうな気配に今日の行動を思案する。 そろそろ新山口、以前の小郡である。やっぱり「おごおり」の名前がずーっといいように思うのだがいかがなものだろうか。 寝台列車の心地よい振動はどうやらお腹を空かしてくれるようである。7時過ぎの車内販売開始の放送とともに先年の例もあることだし、先頭車両へ走り徳山駅幕の内弁当を確保してホッとする。寝台列車の駅弁は数少な目につき行動は拙速を要するのである。車内販売が回ってきたときは例によって既に売り切れであった。そういえば一昨年は、徳山あなご弁当と下関ふく寿司弁当であった。後者は酔考さんのお腹に収まって私は全く味わえなかったのである。
<徳山駅 幕の内弁当 しかありませんでした。>
下関が近づくにつれて次第に雨足が強くなってくる。これでは博多も雨であろう。一昨年の五月連休の墓参も雨を縫って行ったことを思い出した。 下関到着。電気機関車の交換立ち会いは一応私の任務であるので渋々先頭に向かい動画に納めた。立ち会い人は3名程度であり往時を思うと寂しい限りであるが、立ち会っている方がよっぽど変人に見えてしまう。この駅で後部編成として連結されている大分行き「ふじ」とはお別れである。
<昔は西鹿児島まで行っていたのですが、熊本止まりです。>
さて独立した寝台特急「はやぶさ」は、北九州を粛々と走り、10:10博多駅に定刻到着である。
いったん改札を出て冬支度で膨らんだ荷物を預けて実父の墓参に向った。外はみぞれに横殴りの風である。もう少し季節があとならば春一番という風だろう。時々稲光が走り遠雷が響いていた。 鹿児島本線・筑前新宮駅に降り立ち、霊園行きのバス乗り場を探すが見あたらない。駅前からすぐ乗車できたはずであるが・・・ 田舎の寒々とした駅であったのがいつの間にか都市近郊の駅に大変貌を遂げていた。 仕方がない、コンビニで線香を求めついでにバス停を聞くと、何と全く違う場所へ移動し送迎バスは出発直前である。慌てて飛び乗り事なきを得た。駅前にロータリーが出来ているものだからさっぱり分からなくなってしまった。 2年ぶりの墓参である。みぞれの舞う中で手を合わせた。あら不思議、次第に空が明るくなり薄日も射してくるのである。
博多駅に舞い戻り新しくできた地下鉄新線・七隈線で妹宅へ向かう。天神駅構内の乗り換え距離の長いこと、およそ一駅分の距離を重い荷物を持って移動したので寝不足も重なってですっかりくたびれてしまった。
今日と明日はのんびりして武雄に向かうことにした。 翌日は雪になってしまったので外出を止め、ルームランナー上を歩き回ってしまった。(笑) |
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