応援阿房旅行

2006年02月09日
武雄が待っていた


2006.2.9 行動開始・武雄温泉へ
 昨日までの雨風が嘘のような好天である。14:22博多発・特急みどり15号佐世保線・武雄温泉へ向かう。
乗車前に博多駅で旧友らへの土産を買い込むが、何人に会うか分からないので適当な数になってしまった。自分用としてからすみスライスを少々買った。実は秘蔵のマッカラン18年をこっそり携帯ボトルに詰めてきたのである。 しかしながら武雄温泉には15:26到着予定なので1時間そこそこの乗車ではのんびり飲んでいるわけにも行かない。 まあ、いい酒といいつまみは少ないのがまた格別である。いい女もいつも眺めてると見飽きると云うのと同じ原理である。(汗)

 鳥栖を過ぎ、背振山塊が右の窓を占めてくると、やがて吉野ヶ里の遺跡である。重なる山並みとその山裾を眺めやれば確かに古代王国にふさわしい地域である。「山門(やまと)は我が産土(うぶすな)、 雲あがる南風(はえ)のまほら」、という白秋帰去が浮かび胸が熱くなってくる。故郷が次第に近づいてきたからであろうか。(汗)

 間もなく佐賀の駅、頂上に僅かな雪を抱く天山が窓外にチラチラ見えるようになると南側車窓には佐賀平野の地平線が茫洋と拡がってくる。いつ見ても豊穣な土地柄を思わせる風景である。この風景を見ると武雄が近づいてきたと心弾むのである。

     58. ふたたびかえる鳥栖の駅  線路を西に乗りかえて
        ゆけば間もなく佐賀の町  城にはのこる玉のあと


   <列車の外に広がる佐賀平野の地平線>

 鍋島久保田牛津駅を通過し、次の肥前山口は、一昨年旅心をくすぐってくれた「鉄道一筆書きの旅」の終着駅である。関口和宏氏の毎日が気になって仕方なかったことを覚えておられる方は多いと思う。
この場所まで来ると武雄は目と鼻の先である。炭坑の町だった大町駅を過ぎ、来月には武雄市と合併する北方である。やがて九州長崎道路のインター近くを過ぎると生まれ故郷の高橋である。「市は高橋」と佐賀藩西部で繁栄を誇った港町であるが、いまや残影すら見いだせぬ衰亡の町である。勿論特急が止まるはずもなく風のごとく通過した。(涙) 
すぐにも降車駅の武雄温泉である。 九州には長逗留予定なので荷物は山ほどある。ということは降りるのが大変なのである。乗り過ごせば予定が激変する。今日は次の有田まで行く用はない。でもいいかと阿房列車らしいことを考えながら、この辺で席を立ち出口へ向かうことにした。おかげで懐かしい景色は上の空である。実は帰路でもお隣の方と話し始めてしまったので結局我が生誕の地を列車からは見ることが出来なかったのである。(汗)

 武雄温泉駅から幼馴染みのまーちゃんに連絡を取る。で、いつものことながら速攻で小学校担任の恩師宅へ直行するという。慌ててお土産を取り出し体制を整えた。(笑) 恩師にお会いするのは2年ほど前に東京駅のステーションホテルでお目にかかって以来である。ご挨拶もそこそこに、まーちゃんとともに昔話で盛り上がり、一瞬で小学生に戻ってしまうから不思議なものである。まーちゃんは鼻水を垂らしていた姿を先生から云われ頭を掻いていた。でも当時からは想像できない職責にあることを先生ご夫妻は目を細めて喜んでおられるようで胸が熱くなってしまった。偉くなっても?十年一日のごとく着飾らぬまーちゃんが大好きなご様子である。
今日武雄へ来訪した事の次第、仕事をご一緒した樋渡君のことを恩師ご夫妻にご説明し、事務所へ向かうことにした。先生とは今晩ご一献願う予定である。

   <事務所の看板>

樋渡事務所に到着。 いるいる本人である。久しぶりに顔を見るが、元気な様子で何よりである。甲斐甲斐しく働く奥様も久しぶりであるが、慣れない九州の地に馴染まれたか心配である。 お二人に挨拶をして定宿のペンション・ピクニックへ向かった。
既に時刻は、18時を回っており残念ながら温泉に入る間もない、すぐにも恩師と会食である。

    、<またお世話になったピクニック>

 小学校の恩師、よーちゃん、まーちゃんという小学六年三組クラス会である。一点花を添えようと一昨年の旅行に登場したむっちゃんにも声を掛けていたので遅ればせながら駆けつけてくれた。宴会は昔話で大いに盛り上がった。会を設定してくれたみんな。どうもありがとう。
さて、先生をお送りし、二次会へよーちゃんとむっちゃんとで向かった。旧友の店である。むっちゃんを返し深夜まで盛り上がってしまった。またまたすっかりご馳走になり感謝感謝である。





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