応援阿房旅行

2006年02月10日
生まれ故郷の衰亡に涙


2.10 高橋探訪と旧友再会
 昨晩はどうやら午前二時近く宿に戻ったようである。が、楽しいお酒だったので二日酔いもなく健在である。(汗) 朝一番にピクニックの露天温泉に入ってアルコール分を蒸発させた。 今日から始まる一ノ瀬泰造展にAM9:00に集まることを酔っぱらった勢いで約束したのである。場所は確か温泉通りの本山酒店跡だったはず。一ノ瀬君は中学・高校の同級生なのである。幸い宿の主人も其処へ行くというので車に同乗した。 が、何だか忘れ物である。「あ、髭を剃っていない。」と蛍光灯のように馬鹿なことを思い出した。コンビニで携帯髭剃りを探したが置いてない。仕方なくジェル付き剃刀を買ってコンビニの手洗いを拝借しひげ剃りである。 飲み過ぎて空っぽになった脳味噌をいたわりつつ、「これならどんな生活にも耐えらるな。」と苦笑いをしてしまった。(汗) 
と言うこと会場には遅刻して着いたのである。

 会場内を覗くと昨晩一緒に痛飲したよーちゃんが既に挨拶中である。酔っぱらいの私は取材陣を避けて身を隠した。よーちゃんご苦労様。(笑)
 取材終了を待ちかねて中を鑑賞する。若いままの泰造くん、いやタイちゃんに久しぶりに会ったのであるが、戦場の写真中心である。有田を撮した写真が武雄でのタイちゃんには似合っているような気がした。
さて、約束したはずの小母さんらが来ない、仕方ないのでよーちゃんに事務所まで送ってもらうことにした。 後日10時集合を9時と間違って伝えたことをご当人から陳謝された。酔っぱらいはこれだから困るのである。(笑)
 さて、事務所で多士済々のメンバーにご挨拶することになった。後日名刺を見直すと素晴らしい方々である。

 さて本日は樋渡氏の応援とともに生まれ故郷の高橋訪問と祖父母の墓参が目的である。
隣の北方町まで活動に向かう若手のY市議の車に便乗して佐世保線・高橋駅近くで降ろしてもらった。ここから懐かしい高橋の町を通って菩提寺まで歩くのである。こんなことは武雄を離れて以来なので40年ぶりだろう。
まず目に入るのは大正橋のたもとの火除け地蔵尊である。明治3年に大火があり高橋の町は灰燼に帰したらしい。その直後に建てられたお地蔵様の風化してきた台座には明治3年建立の文字がかろうじて読みとれる。

     <明治3年建立の火除け地蔵尊>

 我が本家も明治5年に再建されたと聞いていた。一抱え以上ある大黒柱が数本、中二階や裏二階のある複雑で大きな商家作りであった。鉄道開通の明治28年を遡ること20数年前、結構資金は豊富であったのであろう。明治村の名古屋市内の商家と寸分違わぬ作り方であった。 そんな家が、消え去り砂利を敷いた空き地が残るのみというのは、悲しい限りである。隣家の塩屋跡には現代風の小さな家が建てられて高橋にゆかりのない人が住んで居るようである。本家の残滓は一番裏手の高橋川の石垣の上に残る柿木である。小振りの枝は昔と変わりがなかった。その根元には中庭にあって早起きの祖母が毎日拝んでいた水神様や庭石の一部が移してあった。昔日の栄光を願って我が家を守ろうとしていた祖母の思いが沸々と感じられ、空き地になってしまった先祖の地を悔しい思いで眺めてしまった。この措置を良しとした従兄弟の思いは何なのであろう。

    <ちっとも大きくならない柿の木と中庭にあった庭石の名残>

 高橋の町を歩き始めたものの懐かしさと昔とのマッピング作業のためになかなか歩が進まない。子供時代に広く感じた長崎街道が狭く感じてしまう。 私が生まれて間もなく本家を出た末弟の父が購入し、我々兄弟を小学校をあがるまで育てた家も既に米屋に建て変わっている。六番組という同じ町内で昔の面影を残すのは桑原薬局と云っていた常店(つねみせ)の家作のみである。最近文化財に指定されたとか、木造三階建ての商家は往年の姿に戻されて輝いて見えた。我が本家が残っていたらきっとこうなったに違いないと残念でならなかった。

   <数少ない高橋の昔日を語る商家・常店のあと・もと桑原薬局>

 その昔毎日小学校まで通った町並みをフラフラ歩いていくと様々なことが浮かんでくる。この通りで時間の経つのも忘れて遊び回っていたことが思い出される。しかしながら歯が抜けたように家が消え去っており町全体が明るくなっている。街道筋の宿場町が明るくなるのは決していいことではなく衰亡のバロメーターであるのが悲しい。

     <家が減って明るくなった高橋の町・長崎街道>

 高橋の鎮守、高橋天満宮へ足を向ける。ここに来るのは18歳以来かも知れない。懐かしさがどっとこみ上げる。 聖徳太子幼児像の寄贈者の中に曾祖母と祖母の名前見つける。その他色々あるが、割愛する。

     <高橋鎮守の高橋天満宮>

 母校の朝日小学校角の三角屋でライターと線香を購入しお寺への道をとる。  何年ぶりかで祖父や祖母はじめご先祖様に手を合わせて眼下に見える小学校を眺めているとまーちゃんから電話である。お寺まで行くとのこと。待つこと10分、我が家の墓地にまーちゃんが登場し周囲の墓の説明となった。知っている家のお墓が多い、実は高橋の町の隣近所のご先祖も町と同じように隣り合わせて眠っているのである。

 さて、迎えに来てもらったその足で隣町にご健在の友人の母上を訪ねることにした。
お会いして挨拶もそこそこに地元情勢を尋ねるとこの地域全体が守旧の地のようでは同行したまーちゃんは、打つ手を思い悩んでいるご様子である。
友人の母上がちょっと待ってと云われる。生まれ故郷高橋に住んでいた元ご近所のFさんが駆けつけてくるというのである。見覚えのある顔に思わずご挨拶した。当時電話局に勤務していたという同じ会社の先輩だったのである。中学から高校にかけての思い出話に花が咲いた。最後には勿論応援するよとの言葉、自分のことのように嬉しい。(笑) お土産までいただき感謝感謝である。

 武雄に戻り地場の漬物屋さんが国道沿いに出しているサービスセンターを訪問し昼食とする。 少々田舎の雰囲気のカフェテリア式の一膳飯屋であるが意外にも大好評のようである。個々の素材が生きているので献立各品が美味しい。それに味付けが九州である。薄い塩、ちょっと甘め、これが好きである。武雄ってこんなに美味しかったのだ。地産地消の原点を見る思いであった。

 夕刻、一昨年の連休阿房列車の際に武雄まで駆けつけてくれた某役所の飲み仲間が今回もわざわざ武雄まで足を延ばしてくれたので小学校同級生の店ブランコで旧交を暖めた。心から嬉しい。彼らから最近の佐賀の話題をレクチャーしていただく。 やっぱり新幹線が目下の課題のようである。また、「樋渡氏の出馬を他市が羨ましがっている。」とのこと武雄市民はこのことをご承知か? 聞くにつれて応援へのファイトを覚えた。すっかりご馳走になり感謝感謝。(笑)
さて、このお店は焼き肉系が中心である。ひいきしなくても十分に美味しいのである。聞けば武雄の有名店とのこと。市外から来た今日の仲間も知っていたのである。やっぱり武雄は旨い。また行きたい。(笑)

 いい気分で宿のピクニックに戻るとご主人と若い宿泊客が歓談中、割り込んで先ほどのお店の同級生から頂戴した土産の佐賀焼酎を差し入れ二次会が始めてしまった。大阪からのお客様とのことである。宴会に巻き込んでしまった酔っ払いをお許しください。  この宿のいいところは他のお客と一体になれることである。
ところで明日は満室なので6人部屋を一人で使う贅沢は許されない。ということで宿を名旅館の東洋館へ移動することとした。満室のおかげでいい目にあえる。(汗)





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