応援阿房旅行

2006年02月11日
武雄で思うこと


2.11 武雄ぶらぶら
 朝、事務所に立ち寄ると数人がストーブを囲み談笑中である。挨拶をして話の輪に入り、隣の小父さんと雑談していて何とまーちゃんの兄上である。数十年のご無沙汰を詫び、再会を喜ぶ。父君が早く亡くなられその経営する事業を一手に引き受けておられたのであるが、年の離れた我々は兄上の会社に潜り込んで悪さをするものだからいつも叱られていたことを謝す。
まーちゃんは結婚式でお出かけとのことですぐに動けない。樋渡氏発行の「啓新通信」の折り曲げを手伝った。数名の老若男女が手作りの新聞を折り曲げている光景も何だか心温まる光景であった。

   <第一号の啓新通信>

 樋渡氏が挨拶回りを終えて戻って来たが、私ら兵卒はボヤボヤ出来ない、さて知人を回るかと思ったところへまーちゃんの弟・M君が登場した。黒牟田焼の金子窯へ行こうと言う。
その前に腹ごしらえである。折角だから武雄ラーメンを食べたいと頼めば御船山麓の某ラーメン店へいく。残念ながら名前を失念したが素直な豚骨ラーメンである。博多や熊本ラーメンほどの匂いもなく、これが佐賀ラーメンというのであろう。美味である。武雄で一番旨いとはM君の言。一緒に食べたおでんも実にうまい。
満足したところで武内町黒牟田へ。 唐津や有田の発祥の地と云われている黒牟田焼きの地である。一昨年は丸田窯を尋ねたが今回は多々良(たたろう)焼金子窯である。 年輩の金子先生にご挨拶し、展示品を拝見させてもらう。飴色の壷、焼き締めた抹茶椀が素晴らしい。が、値段を聞く勇気がなかった。(笑)

 「さ、一杯飲まんね。」と座敷に腰を下ろすとお茶代わりに先生自らビール瓶と缶を運んでこられて自然な感じでビールを振る舞われた。 近所にある日本最大の登り窯・飛龍窯が老朽化のために今年が焼き納めとのことである。その窯で焼いた大物を待ちなさいと同行のM君へのアドバイスがあった。「ではそうさせていただきます。」で焼き物の話は終わって、田舎の選挙情勢をご教示していただいた。ありがたいことである。が、年が若すぎると云うことで受け入れない地域を口説き落とすには時間がかかりそうで頭が痛い。ご本人が各地の重鎮との念入りな会話を重ねていくことが必要な情勢である。

さて、座敷では飲め飲めと嬉しいお薦め。(汗) 缶ビールが次々に出てくるとともに来宅中のお客さんがその輪に加わる。
北方町からの古い金子窯ファンとのことである。樋渡さんのことに話が及び北方町民も期待してる様子である。東京や高槻で仕事をした等々をお話しするとすっかり安心していただいた。 既に退職されたというこのご主人と奥さんは、金子先生にお会いするのが何よりの楽しみとのこと。窯元との対話で好きな焼き物を探し出せるのは羨ましい限りであった。
 ぐいのみを求めたいというと奥から「ちょっと待ちんさい。」と言ってどさっ持ってこられた。「適当に持っていきんしゃい。」とのことであるが、恐縮したものの気が付いたら4個頂戴していた。(笑) あとでM君から「あれは全部持って行けと云うことタイ。」と言われてしまった。
豪快でものにこだわらぬ先生とお話をしているとからっと晴れたような気分になるから不思議である。一見どこにでもいるような好々爺であるが樋渡さんを大好きなところは流石である。
 これ以上飲んでしまうと何のために武雄に来たか分からなくなるので、いつ席を立とうかとモジモジしていたが、ころあいよく市役所職員の案内で韓国から10名近くが訪問してきた。昼宴会を終えるタイミングである。 延々と宴会が続きそうではらはらしていたのでホッとする。(笑)

事務所へ戻り一服しているところへまーちゃんが戻ってきた。
一緒に高校の恩師宅へご挨拶にお伺いするものの陸士OB会出席でご不在。昔は小さかったお嬢さんに挨拶をして失礼した。

さて本日は休日の週末とあって定宿のペンションピクニックは満室である。6人泊まることの出来る部屋を一人で占領するのは罪である。明日戻ることにして今夕は湯元荘・東洋館で豪華な宿泊である。まーちゃんが手配してくれていた。感謝感謝。
この宿に個室があるとは知らなかった。温泉楼門を見るには絶好の部屋である。

     <東洋館の個室からの武雄温泉楼門の眺め>

 早速4Fの湯船につかる。 ここは循環の模様?であるが、それでも泉質は武雄温泉の特徴の肌がすべすべする感じが強い。1Fのかけ流し元湯は夕刻からとのことで楽しみである。
夕食はまーちゃんと一緒にレストランでいただくが、上品な薄味で大変美味しい、先生には薄すぎると言うのでたしなめてしまった。(汗)

 20時から突然の三夜待ちに参加した。中学同期生の一部の集まりと聞いて出かけた。幾人か見覚えあったものの雰囲気では選挙の話はどうやらタブーのようである。つまり守旧の雰囲気である。このままで何の得るものがあるのだろうか。悪いけどまだまだ盥(たらい)の中で波を立てているだけにしか感じられない。
これら守旧の人たちを巻き込むには樋渡氏本人の丹念な努力がいるように感じた。。
小さな武雄市である。一致団結し大波を乗り越えるにはリーダー層と一般市民ともに大局観を持っていくことが必要である。
まーちゃんは私の戻りを宿の女将と心配そうに待っていてくれた。厳しい情勢のお話をする。翌日の挽回を期待する。(汗)





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