D51半流線型製作記録

2007.10.8 初運転・北裏鐡道デビューしたものの


 やっと出来上がったD51半流線型ライブを抱えて吉祥寺まで出撃である。今日は10月の運転会。 出発前にあたふたしてしまい到着したのが11時近い時間になっていた。 好天とほどよい暖かさの運転日和に恵まれて参加者は沢山かと思いきや、ギャラリー一杯の運転会であった。 皆さん既に準備を終えたどころかワンラウンド運転を終えていた様子で、「運転会準備をせずにすみません。

 さて本日はデビュー戦というのにいきなり火を落としたD51半流線型9600、更には貨車4両という編成となった。既に運転を終えたO氏の編成を拝借したのである。 が、大空転を引き起こし、なかなか前進してくれない。 9600を外して軽量編成とし、それでも空転するのではD51のドレイン弁を開きピストンの抵抗を減らした。が依然空転したままの運行である。 粘着力が殆ど無いようで、「変だなぁーイコライザーも作用していないようだ」と目を凝らすとテンダーへ渡したU字状の注水管が線路をこすっているのである。特にポイント上ではガクンと減速する始末。 「お、原因発見!」 これで午前の部終了である。


  昼食もそこそこにブレーキになっていた注水管を1cm程度切り詰め再走行させてみた。
今度は貨車4両としたところ、ドラフトが弱くなったのか燃焼力が低下するのである。加減弁を開き速度を上げるとまずまずの走りであるが、D51らしい安定した低速運転ができない。まあ、これは走り込んでエンジンの当たりが良くなってからの点検課題であろうと、曖昧にしておいた。(汗)  実際の線路上で走行させて何とか問題発見できて嬉しい限りである。(汗) やっぱり、現場主義が重要なのは仕事も趣味も同様である。 実は午後に更なる大きな原因を発見したのも線路上を走らせて分かったのである。

さて、朝の勢いは何処へやら、意気消沈して清掃と点検をすることにした。これで店終いである。 ところが、空転の根本的な問題を発見したのである。 いつものようにひっくり返して動輪の汚れを拭き取ろうとして驚いた。動輪4本全ての汚れがひどいのである。 あれだけの空転ならばピカピカしているはずの動輪のタイヤ面が線路と同じ汚れ様である。 ただし、後従輪の軸がバーナー管の底に接触したせいで光っているのである。 従輪のタイヤでなく、がである。(汗)  どうやら燃料用シリコンパイプを接続する際にバーナーを前方に押し込んでしまったようである。その結果、後従輪軸がバーナー管の底に位置することになり、動輪にかかる重量を引き受けてしまったのである。 その結果日本国有鉄道の軟弱な線路加重に対応するかのように軸重が軽くなってしまったのである。これでは牽引できるはずがない。鉄製の動輪も形無しである。

 後従輪軸はバーナー管底部の広い隙間を上下するはずである。これがずれたために起きた大空転であった。運転準備中の不注意である。我が工場でバーナー管がずれないように再調整することとした。

残念ながら運転会終了時刻となってきたので牽引力の確認は次回までお預けである。一ヶ月後が楽しみとなった。 還暦間近というのにワクワクするような待ち遠しいことを持っているのは精神衛生上大変いいことであろう。 自宅のベンチマーク台で慣らし運転に精を出そうと考えている。

 そうそう、あと一つ問題を発見してしまった。 この機関車は燃料の大食らいであることが判明した。今日の運転だけで700cc近い量の消費である。 機関車の消費量に比較してアルコールタンクが小さすぎるのである。 これでは設計ミスではないかと疑ってしまう。当面バーナー芯を2-3本増やして様子をみることにした。 根本的な解決にはほど遠く、タンク容量を増やすのが一番なのである。さてどうするか。(汗)

新しい機関車のデビューはこれまでもなかなか満点まで行くことはなかった。今回も相変わらずの課題付きのデビューとなってしまった。ヤレヤレである。この先の更なるご支援・ご鞭撻をお願いしておくこととする。(汗)





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