列車の旅いろいろ

2007年09月23日

夏の青春18切符の旅


 秋分の日に最後の一枚の切符での旅を追加しました。常磐線から始まった後ろ向きの旅だったのでちょっと恥ずかしい。
前回書いた際に責任の取り方について書いていました。 が、見事な責任の取り方をされましたねぇー。何をいわんやという結果になり、言葉もありません。(汗) 庶民は、見ざる、言わざる、聞かざるの三猿状態になってしまいそうです。(汗) (2007.9.23)


 2007年参議院選挙の直後にブログに書いたものの埋もれてしまいそうなので久しぶりにこの場所で日記風にアレンジしてみました。

 参院選も一段落してそれぞれの責任と出処進退を楽しみに(失礼)見ております。それにかぶせて浮かぶ言葉がノブレス・オブリージュ。 さてこの関連が良識の府と云える参議院においてどのように作用するのでしょうか。 トップである安倍総理の責任の取り方如何が今後の政局を決めるのだろうと何となく理由のない予感がしています。
早々と政権継続としたことがどう転ぶのか・・・ てっきりお辞めになるのだろう、そのような人物がトップに座ったと信頼していたのに、あに図らんやまだ齧り付くとはねぇーと普通の人達は思っているのでしょう。 何か理由があるのでしょうか。あの世界はフツーでは務まらないのでしょうね。
おかげで政治経済不透明、これに喜ぶ近隣諸国のおかしい動き・・・・ (2007.8.29)


2007年7月26日 身延線・久遠寺の旅

で、そのようなことから隔絶された趣味の世界では、青春18切符なるものが流行っておりまして、5枚ある切符のうち2枚を使い旅してきました。 一枚目は先月26日に酔考さんと身延線の旅身延山久遠寺菩提梯という487段の階段を登って参詣しましたが、段の高さが普通の階段の倍近くありメタボな身にはつらいものがありました。だから修業になるのでしょう。


 落語で有名な鰍沢も此処かと思いつつ今回初めて鰍沢口駅を通りました。 沿線全体が意外に開けて建て売りとおぼしき家が建ち並んでいました。 周囲が山ばかりなのか各戸の庭は緑が殆ど植えられておらず、乾燥した街並みに見えて仕方ありませんでした。 富士川に沿って甲府に向かうのですが、さすがに富士の流れは素晴らしいと思いました。
甲府の街はNHKドラマ・風林火山記念の物産展に迷い込み、カミさんへのお土産として甲州種2003年赤ワインを買ってしまいました。
酔考さんは、信玄餅を沢山ご購入されていましたが、さてその目的は???


2007年7月31日 水郡線の旅

 さて31日は単独行で常磐線水戸驛から東北本線郡山驛へと水郡線に初チャレンジです。我が家を出たのが午前5時半、 上野驛から6時51分発常磐線・勝行きの通勤電車に乗車、途中ガラガラになるかと思いきや、ほぼ80%の乗車率です。 前2両がボックス席でしたが、私の前の人は西日暮里から水戸まで一緒でしたので結構長距離通勤の人もいるようでした。 さて、定刻到着、水戸発9:23郡山行きを逃すと13時台まで列車はありません。 が、余裕を持って二両編成のディーゼル後部にに落ち着いたものの、この箱は途中の常陸大子(だいご)で切り離す車両でした。 この列車の車内も夏休みのキャンプや合宿の生徒達や地元の買い物客?で予想外の混雑ぶりです。或いは大子では座れないかも知れません。早めに前の車両に移動して席を見つけて立ちん坊を回避できました。 このようなローカル線で混雑に会うとは予想していませんでした。 いつもこのように乗車率が高ければ存続できてハッピーなのですが、私のような安い切符で乗っているお客も多々ありそうでした。 青春18切符では水郡線内では金を落とす機会もなくて売り上げと貢献できず残念でした。(汗)  
 さて、この線を淡々と2時間乗り通し路線クリア出来たのですが、聞いたことのある驛が少なく、袋田は厳寒の中凍結する袋田の滝、常陸大子には航空路管制用レーダーがあったかなと思い出した程度です。この路線も定刻通り走破し郡山駅周辺をうろつきました。が、時刻表を見ると宇都宮までの直通はありません。慌てて立ち食い蕎麦を啜って乗る羽目になりました。

 郡山から東北本線を黒磯で乗り継ぎ、宇都宮に戻りました。この町を一時間ほどうろつき、名物のたまり漬けを買った後に湘南新宿ラインのグリーン席を贅沢して新宿へ向かいました。  本日は路線乗り継ぎにガツガツした一人旅でしたが、色々仕事のアイデアも出てくるから不思議です。 この楽しみがいずれも旅費2,300円で実現できるのですから青春18切符様々です。 退職小父さん切符と言えるかも知れません 青春18切符万歳です。(笑)

 さて、あと3枚残った切符。 次は何時何処へ・・・ 酔考先輩が企画中のようでもありますが、 横川電気機関車を運転し、別所温泉一泊、小海線小渕沢に抜けるというのもいいですね。 「汽車の窓かぁーらハンケチ振れば・・・」という高原列車特集もよさそうです。或いは長野に出て篠ノ井線松本。 その後中央本線でで新宿に戻るのもいいですね。 さていつにするか酔考さんに相談しなければなりません。


2007年8月22日 − 23日 信州温泉列車の旅

 この旅の間に決まった佐賀北高校奇跡的な甲子園優勝。おめでとうございます。昔の佐賀北を知っている者としてはあっけにとられてしました。 何はともあれ、もと県民として大変嬉しい限りです。関係者の皆様、おめでとうございます。 佐賀商の優勝の際は、それもありかなと思いましたが、佐賀北の優勝には心底驚きました。我が母校の優勝と変わらない気持ちです。(笑)

続いての青春18切符の旅は、酔考さんとの弥次喜多旅でお信州へ出かけて温泉一泊をやってきました。互いに迷惑をかけたりかけられたりして無事終了しました。お付き合いいただきありがとうございました。この場にメモっておきます。

 家を出たのは8月22日の午前五時四十分、上野始発の高崎行き列車に揺られ、高崎で乗り換えで横川に着いたのは10時前でした。高崎までは通勤時間だったので下りとはいいながら予想以上の混雑ぶりでした。やはり上野まで出て始発のボックスシートに座ったのは正解でした。十五両編成の後ろ二両だけがこの席でした。 早く気が付きいいポジションに座れたのは正解でした。 ロングシートでは旅行の気分が出ません。 当然上野から電車が出た途端駅弁をパクついた次第です。 上野弁当だったかな?
さて、一度は行かねばと思っていた碓氷峠鉄道文化むら。 園内に入って慌ただしく発車間際のトロッコ列車に飛び乗って旧線路を上下してきて一息つきました。 鐡道少年にせがまれて付いてきたお祖母さん・お母さん(正確には母子)連れと一緒になりました。頼もしい倅であります。素直な鐡道少年になって欲しいとエールを送っておきました。 そのなれの果てが我々だと知って安心されたことだと思います。(苦笑) ここはもと横川機関区。長野新幹線が開通し不要の地となったところを鐡道公園として再生したところらしく、本物機関車オタクには充分満足できるのではないでしょうか。模型鉄の我々の反応は今一つでありました(笑) 


 猛暑で製作中断中のD51半流線型の本物が展示されていたので酔考さんに蒸気機関車のメカニズムを講義をしつつ自分も楽しんでしまいました。製作中の模型を思い出しつつ本物をみると単なる見学と違います。随分参考になりました。


しかしながら動かない機関車にはちと寂しいものがあります。電気機関車はただの箱なのでついおざなりな見学となります。 が。特急「さくら」のヘッドマークを付けたEF65を見つけその運転席に座り、これが下関までお世話になったブルートレインを牽引した運転席かとノッチを入れながら勝手に感激していました。 999ヘッドマークの電気機関車があったので北裏鐡道のお仲間を思い出してミニ妙義山(?)を背景に写しておきました。


 珍しいD51半流線型の本物を眺めて、早く工事を再開しなければと思い出しました。が、やり残している仕事も浮かび気持ちは複雑です。ライブスチームはボイラーの水圧試験から始めなければなりません。それにはまず環境準備です。


 横川驛名物荻野屋の釜飯です。名物に美味いもの無しというのですが、この釜飯は美味しいですね。駅前の本店で食べるご飯は格別でした。が、愛想のない対応にはあきれ果てました。 お客をモノとしか思っていないように感じました。プンプンです。

という横川をJRバスで発ち、軽井沢へ、滞在10分で直ちに三セク信濃鐡道に乗り継いで上田に移動しました。もと信越本線でありながら青春18切符は効きません。渋々お金を払って乗りました。(汗) さて、上田からはレトロな上田電鉄で別所温泉へと思ったものの雰囲気のあった丸窓付き電車は昭和61年に引退し、東急電鉄のお古らしき電車走っています。いつの間にか東急の傘下になっていたようです。


 ご覧のようなローカル色たっぷりの鐡道を30分かけて終点・別所温泉駅に辿り着く旅はなかなか風情があります。中には古いデザインを模した電車もありました。そして丸窓も。なかなかいいではないですか。
到着時には何かのロケをやっていました。宿のはっぴを着た兄(あん)ちゃんに声をかけたところ、その御仁は出演者で「あ、私はニセモノです。」とこたえてくれました。一説にはきゃいーんの誰かだったとか?ほんとかな?


 本日の目的は、安楽寺の国宝八角三重塔です。17時でしまってしまうと聞いて宿に荷物放り投げ、慌ててお寺へ向かいました。  鎌倉時代末期に建造され三重塔で大変見事なものでした。意外に知られていない宝物で、木工博士の酔考さんも唸っておりました。


 硫黄の匂いのする掛け流しの温泉と久しぶりの素朴な二人宴会を堪能した翌8月23日の朝は、早めのお発ちとして駅に向かいました。前夜の豪雨で昨日の猛暑が嘘のように涼しくて気持ちいい朝の散歩です。 別所温泉駅はご覧のように情緒たっぷりの始発駅です。ここはまだ昔の面影が残っていました。

 さて、本日は信州から甲州を経てお江戸へ帰還します。 まず上田から長野に向かいました。まだ信濃鐡道区間で有料です。、長野から長野電鉄と思ったのですが、松本経由を考えるとその時間がありません。で徒歩での善光寺参りです。抹香臭い世界は我々には丁度良い雰囲気で、驛から2km、善光寺が近づくほどに古き良き町の薫りが残っているようです。


 ここの店は唯一買い物をした門前の七味唐辛子屋さんです。色々買いました。買い物途中で顔に汗を一杯かいてしまうほど私は胡椒に弱いのです。(汗)

お楽しみの昼食は池波正太郎氏がよく立ち寄った五明館というレストランです。氏の愛したステーキは二人ともさる事情でパス。 長野のかつ重を選択いたしましたが、東京の卵とじとは違ってソースかつ重です。単純にして美味、豚肉の美味さと専用ソースの美味さのコラボレーションを堪能した次第です。知りたがり屋の酔考氏が、五明館の由来をメイド小母さんに尋ねたところ、オーナーが待ってましたとばかりに飛んできて箸袋の扇を指して、「ここはもと旅館で昔は扇屋と云いました。扇の別名は五明といいます。その由来から五明館と名付けました。」と丁寧に説明いただきました。また一つお利口になった気がするとは酔考さん。 ご主人ありがとうございました。 これで三度目、いつ来ても気持ちのいいレストランです。

以前から全曲通しで聞いてみたかった長野県歌「信濃の國」のミニCDを買ってしまいました。

 最後の列車旅は長野から一気に高尾までの各駅停車の旅です。 まずは13:01発松本行き篠ノ井線を移動です。


この光景は篠ノ井線・姥捨を過ぎた辺りから千曲川を眺めた写真です。
 松本で14:18発高尾行き始発に座れば漫談の始まりで三時間余飲み食いしながら窓の光景を楽しみました。途中新府辺りでは富士山が右左に移り変わります。いかにも山裾を走る中央本線の車窓らしい光景ですね。
行いがよかったご褒美か、定時に高尾到着、早めに自宅ご帰還となりました。

こんな感じで丸二日しっかり遊んできました。世の中の暑さも憂さも忘れてリセットしてきたので次はお仕事、頑張らねば。 取り急ぎのメモです。  あと一枚残った切符、さてどこへ行ってきましょうか。


2007.9.2 グータラ鐡道の旅(茨城交通)

 家を出たのは朝5時過ぎ、最後の一枚は関東でまだ乗っていない鉄道に乗ろうと駆け足で小田急線・経堂駅 5:26の準急に乗り込みました。本当は4:50の始発の予定でしたけど、最近起床した後のスタートアップがとろくてなりません。(汗)  上野で駅弁を買って席でゆっくり食べるつもりが座席のスタイルがロングシートやボックスシート混在なので色々を考えると面倒になり、結局立ち食い蕎麦の朝食となりました。 この儀式で旅のスタイルがすっかり崩れました。 6:30発勝田行きで定刻通り勝田へ到着し、8:30発の茨城交通に乗ることが出来ましたが、本物の列車には殆ど興味を覚えないため、とりあえず終着の阿字ヶ浦驛を確認した程度の旅になってしまいました。 私の乗ってきた便は乗客10名程度で行く末を心配するような状況でしたが、、次の便は3両編成で満席です。 これは謎ですね。 何かイベントがあったのか私より年配の小父さん小母さんで溢れかえっておりました。不思議だ・・・。 

 この路線は茨城県の那珂川沿いをディーゼルが走る路線で何の変哲もないローカル線という印象でした。 が、途中の驛の那珂湊の対岸は数年前に家人と訪れた大洗シーワールドであることが分かり頭の中で地図の組み立てが出来ました。 「そうか、やっと分かった」という感じです。(笑)

 終着駅からそのまま乗ってきた列車でとって返して、関東周回の月並みな旅にすることにしました。つまり一日2,300円の切符で沢山乗ろうというケチくさい発想になってしまったのです。 こうなると何の楽しみもないことは分かっているのですが、突然グータラな気分が出てしまいました。 その結果、水戸のお隣、常磐線・友部から水戸線・小山(おやま)乗り換えで両毛線の旅になりました。正当であれば、まず蔵の街栃木散策麺街道両毛線佐野でラーメン足利で論語の勉強、その手前の富田では栗田美術館の色鍋島と楽しみ満載なのですが、何とまあ、昼食は小山のホ−ムで立ち食い蕎麦となってしまいました。まるで本格的なテッチャンです。(笑) 両毛線に乗った途端に早起きの反動で耐え難い眠気に襲われて気が付いたら足利を出るところでした。
ホントは此所で下車して100円の論語足利学校へ買いに行くつもりだったのですか失敗です。 結局、このまま終着の高崎驛へ出て町をぶらついたあと、湘南新宿ライン新宿へ戻るという月並みな結果になってしまいました。
殆ど座っていた旅になってしまいましたが、それでも8000歩。 よしといたしましょう。

 この日で青春18切符五枚のノルマを果たしてやっと私の夏が終わったような気がします。 明日から更に気合いを入れて仕事開始です。 後ろ向きの一日でしたが、リセットにはまあいい休日でありました。 写真を撮る気が起きなかったでまだ本調子ではありません。ということで写真のない旅であったことは御容赦のほどを。(ペコリ)







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