ライブスティーム雑記帳

蒸気機関車への思い (2009.7.27)


 昭和52年以来アスターホビーの様々なライブスチームを組み立ててきたのであるが、アスター製品全体について云えば、ほぼ満足している。と言っていいだろう。 製品個々にはそれぞれの課題はあるものの素人スチーマーには高嶺の花であったライブスチームをいつでも楽しめる趣味に降ろしてくれた功績は大きいと思う。 このメーカーなかりせば私などは海外カタログコレクターで終わってしまっていたかも知れない。(汗)
或いは、自作したり海外製品の購入で楽しんでいるパワーのある人達を遠巻きに囲み、わいわいがやがや云っているだけだったかも知れないのである。 我が手でライブスチームを作り、運転を楽しむことが出来るとは、当時若者だった私には思いもつかなかったことである。

などと、蒸気機関車には、ライブスチームも含めて様々な思いがこみ上げてきてしまうのである。

 人間の開発したもっともメカニカルな乗り物の一つである蒸気機関車がマスコミの話題になるたびに感じるのであるが、その内容が蒸気機関車をあまりにも擬人化しすぎていることである。その結果、日本の蒸気機関車が単なるアナログな機械から情緒的な生き物へとすり替えられているようである。 「機関車が頑張っている」とか、「可哀想だ」というような表現ではなく、何故100歳近い機関車が今でも動作して、数歳でしかない近代的な自動車が廃車されるのかを論じるだけでも興味深いと思う。 技術の粋を集めた自動車が100年後も動くとは全く考えられないことである。10年後でもかなりレアなケースであろう。 更には海外において蒸気機関車の熱効率をいかに上げ、輸送機械としての極限を目指ざそうとしていたのかを伝えてほしいものである。
ライブスチームという趣味に触れることで蒸気機関車技術の一端を覗くこととなり、何階層にも重なる欧米の技術の懐深さを知る思いであった。

日本における技術面の最大の課題は、産業革命という機械文明の洗礼を受けず、一足飛びに富国強兵・技術立国などと言い出す国になったせいか、ものの仕組みに興味を持つことが教養になり得なかったことである。 表面的な動作や机上の論理だけでものの仕組みが分かったつもりになり、幾重にも重なる仕掛けを知らずとも良しとしたようである。 しかしながら、何故此のようなからくりや構造としたのかという理由を積み重ねてノウハウにしていかなければならないのである。ノウハウがあれば臨機応変に次の段階にステップアップするのは容易と考える。

 夜郎自大になりがちな亜細亜文化の特徴として 創意工夫をしている職人階層のように直接手を下す人種を一歩下に見てしまうことが根底にあるのかも知れない。 しかしながら、この先はいざ知らず、これまでの日本の隆盛を支えてきたのはモノ作りだったのである。これからは上で述べたノウハウの蓄積量がものを言うのであるが、さて、我々は充分に蓄えているのだろうか。更には、ソフトウェアという異質な世界での競争が未来には控えている。

 さて、先日英国におけるクラシックカー・レースがテレビで流れていた。 ポペット弁丸出しの自動車が何台も悠然と走っている光景には驚いてしまったのであるが、蒸気機関車だけではなく機械そのものを大事に取り扱うお国柄を垣間見た思いである。 もの作り立国というのはこのような国民の多くが機械などに親しむための意識改革ではないのだろうか。 複雑な機械を一見しただけで毛嫌いする人は多いのではありませんか? (2009.7.7) 







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