ライブスティーム雑記帳
機関車考(3) 機関車いろいろ(2011.1.1) |
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機関車色々 これまで扱ったことのある45mmライブスチームはアスターホビー製が殆どである。 高い部品精度で三十数年にわたって45mmライブスチームを世の中に送り出しているのは国際的にも同社が筆頭である。 従って、このシリーズがアスターホビー路線に偏るのはご容赦いただきたい。以前、ブログにおいて運転室シリーズを採り上げてみたが、それよりも長いネタになるかも知れない。
実機の成り立ちなどを長々と書いてしまうと模型サイトではなくなりそうであるが、実機はどのようなものであるかを紹介する必要も感じている。 ということで、このシリーズは模型機関車考の範囲を逸脱しないように注意を払って実機紹介も載せることとする。
さて、最初は前項の導入部に書いた 英國LMS Duchessを採り上げてみた。我が「からくり鐵道」においても実機と同様に強力で愛すべき機関車の一つである。
LMS Duchess
1.どんな機関車?
西海岸を路線に持つLMSは、技術的補完のために Star、Castle、King という四気筒シンプル蒸機で成功を収めていたGWRから1932年ウイリアム・アーサー・スタニアを迎え入れた。彼は、 King の足回りをベースに ロンドンーグラスゴー間 600kmをノンストップで走らせるためにより大きな火室と一軸の従輪を持つパシフィッククラス(4-6-2)を産み出した。そのうちの一つがDuchessである。 Duchessクラスは、英国蒸気機関車史上最強の高速機関車である。1937年に登場するや、公開試乗会でいきなり183.4km/hという当時の世界最高速度を記録している。動輪の回転数は480rpmという驚くべき数値である。日本最高速を1954年に出した際のC62の回転数は392rpmであるから彼我の技術の差は歴然としていた。我が國有鐵道は蒸気機関車の改善努力をしていたとは思えないと云われる所以はこんなところにありそうである。
この45mm機関車でも実機の機構的な特徴である外部ワルシャート弁式四気筒エンジンのメカニズムを取り入れており、その性能も大変優秀である。安定させるまでに幾つか措置をしたことも効果を上げている。
2.いつ頃入線したのかな? この機関車の組立経緯はこのHomepageに残しているので興味をお持ちの方は是非ご覧いただきたい。どのような構造なのか、製作の流れは? 苦労したことは何かなど、自分でも忘れてしまったことが紐解けるようである。
この機関車はオーソドックスな構造なので作成上の大きな苦労はなかったと思う。 ただし、四気筒という複雑なエンジンなのでその組立と調整は丁寧にやった記憶がある。 長くいた会社を辞めようとしていた揺れ動く時期に作っていたので複雑な思いを持って弁調整していたことを思い出す。 完成までの期間が長くかかるので機関車それぞれにいろいろな思い入れがこもっているようである。(苦笑) 写真は、四つのエンジンを組み込んだ直後のものである。これらの仕組みはほぼ車体の下に隠れるのでメカマニアにはちと勿体ないメカニズムである。 内側二気筒は第一動輪を駆動し、外側は第二動輪を駆動する。外部から弁の動きを伝える四気筒機関車の勘所のロッキングアームは既にフレームの下に隠れている。
3.どんなことを感じた? 臙脂色のスマートな車体にグラッと来たのは確かこの機関車が世に送り出される直前のビッグサイトのJAMであった。しかも四気筒と云うことを初めて知って衝撃を受けたのである。欧州機関車へのあまりの無知さに当時のことを思うと赤面してしまう。
給油機構の違いにも驚いた。 これまで殆どの機関車はロスコー式(置換式)という油と水の比重差を利用して油タンク内で凝結する水をタンクの底に沈めその体積分の油を蒸気に混合しエンジンに送るものである。
ところが、この機関車の場合は、滑油タンクに強制的に蒸気を吹き込みその凝結水が沈下する分浮き上がるオイルを蒸気圧で微量にエンジンに送り込む方式である。機構的にはロスコー式と言えるのであるが、注入弁の開角度を大きくするとあっという間に潤滑油がなくなるので注意を要する方式である。 エンジンに近い煙室付近に潤滑油タンクを配置するスペースがないのでキャブ内に設置し、オイルをエンジンまでの長い道中確実に送り込むために採られた策のようである。 比較的近年の英國型機関車 A3、A4、Castle などで採用されており車両限界一杯の英國式ならではの方法である。 20年前に送り出された GWR King では煙室内に熱遮蔽?をしたロスコー式潤滑油タンクを設けてあるが、見た目や過熱などの難点があったのかも知れない。煙突の前にオイル注入口があるのを皆さんはどう思われるのだろうか? 私はあまり気にならないのであるけど。
4.エピソード 機関車にまつわるトラブル = エピソードと云えそうである。 これまでに二回の故障を経験した。 一度目は主連棒の変形である。第一動輪の連接棒を止めたネジに主連棒が微妙に擦れ合っていつの間にか「へ」の字に曲がってしまった。 手回ししても気が付かない程度の擦れであったことで発見が遅れたのであるが、その原因追及はお仲間の くりさんの機関車にも発生していたので原因を直ち突き止めて貰ったのである。という次第で解決策を直ちに採ることが出来た。クリアランスが0.3mm程度の箇所でワッシャー一枚分厚かったのである。 予備の主連棒はとりあえず入手していたものの使わずに事なきを得た。
第二のトラブルは、内側エンジンのクロスヘッドから主連棒止めピンの抜け落ちである。JAMでのことであったが、当時アスターにいたT田さんが発見してくれたので事なきを得て現在に至っている。
その後は大きなトラブルもなく我が鐵道の主力機関車である。機関車の中味についてはからくり機関庫のDuchessの項を参照していただければ更に詳しいことが分かると思う。
5.その他
英國鐵道については知識が中途半端なので色々語ることが出来ないのが残念であるが、もとはと云えば日本鐵道の師匠筋に当るのである。日英同盟が米國の圧力で解消され、その後鐵道省は独逸好みにシフトするにつれて二流どころの技術が我が国に入ってくるようになってしまったようである。機械文明国独逸といいつつも英國や仏蘭西の蒸気機関車技術に比べてみると見劣りするのである。 やはり学ぶならば一流どころから学んでいたのであればまた違った鐵道の世界が日本にも拡がっていたことだろう。
それはともかく、特に牽引車両や編成についての知識が空っぽなので学ぶことが多すぎる。 一歩踏み出したというところである。 |
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