ポッポの煙

2003年10月12日

山椒は小粒で・・・Nゲージだって


 ライブスティームとは全く違う世界であるが、箸休めにまとめてみた。
 長女が生まれる頃、武蔵溝ノ口界隈に住んでいた。何の趣味もなかった当時、カミさんがお産で実家に帰ってしまうと暇で仕方がない、暇な休みの日に溝の口の裏通りを歩いているうちに模型屋を見つけ立ち寄ったのである。プラモデルやHOゲージに混じって格段と小さくて安い機関車が並んでいた。それが細々と楽しんでいるNゲージとの巡り会いであった。この時購入したものがBachmanという香港製の3軸入れ換え用ディーゼル機関車である。粗雑な機構であったので安定走行など望むべくもないこの機関車は動かなくなって久しいものの初Nゲージ記念に家のどこかで眠っているはずである。
 「Nゲージとは何だろう」と調べ始めてみると大変面白い。今まで漫然と遊んできた鉄道模型の背景を理解するにつれて大変厚みのある総合的な遊びであることが見えてきて現在に至っている。
 その後入手したのが、米国型DLである。いずれも値段が安いことが決め手であった。米国独立200年記念塗装を施してあったので1976年(昭和51年)前後のことと思う。
長女誕生とともに飯田橋の社宅へ転じて数年後、模型環境は一気に好転した。(汗)
 というのは関水金属(現在はKATO)のショールームが高田馬場駅近くの明治通り沿いにあり、休みの度に子供を自転車に乗せて見学へ行けたのである。
子供のお守りで子供とカミさんと父親も喜ぶという一石三鳥のサイクリングに家人の苦情が出るわけがないのである。
ということで珍しい汽車が出ると店員氏から声を掛けられるまでになってしまった。そのころ手に入れたのがNYC(New York Central)の代表的な蒸気機関車HudsonUP(Union Pasific)の巨大なディーゼル機関車U50である。いずれも長年の活躍で強者の顔になっているものの未だに健在な主動力車である。 最近オークションで同型機を入手して後継機の問題が無くなり一安心しているところである。


 このKATOの展示場で入手しそびれて臍(ほぞ)を噛んでいるのがUPのガスタービン機関車である。いつでも入手できると思ってしまったのが敗因であった。この模型はU50をベースに作られており燃料用のテンダーと派手なレモンイエロー色のUP塗装が特徴である。Bigboyの後継機として世に送り出されたのでその巨大さは想像していただけると思う。
 この頃まで外国の鉄道への知識は断片的なものでしかなく、優美な欧州の鉄道も知る機会がなかった。ところが、このKATOのショウルームには世界各地の車両が多数並んでいるのである。欧州型にも魅せられたのであるが、それよりも機能美あふれる米国型鉄道の魅力は更に優っていた。米国人は不器用であるという大正生まれの父母の思い込みを鵜呑みにしていたのであるが、どうしてどうして、マイクロトレインという名前で売られていたkadee製貨車の繊細で優美さに驚いた。手すりの鎖の表現、車輪の裏側には実物と同じ円弧が刻まれている。即座にグレートノーザンの車掌車(cabsoose)を入手した。 世界の逸品を集めるだけかと思っていた米国がこのような高いレベルの製品を作っているとは知らなかった。NASAのロケット群を考えれば分かることなのだが思い込みはとんでもない考え違いをするものである。
 これがきっかけ米国型鉄道にのめり込むようになり、我が家のNゲージの世界は米国型一色になってしまい現在に至っている。
関水金属のショールームには輸出品の一部が並べられることもあり、これらの中にはガスタービン機のように二度と入手できないものがあったが、貨車の中には気軽に買えるNゲージ一世代型も多かった。現行品と比べれば作りは雑であるが、50年代の貨車の雰囲気をよく捉えており今でも健在である。

 そのころの名品は、先に紹介したNYC Hudosonである。鉄道華やかなりし頃の巨大な4-6-4の蒸気機関車であり、機能美にあふれる姿は好きな機関車の一つである。出張費を節約して2両手に入れて今でも大切にしている。この機関車をベースに流線型にしたブルーグースという特急型を入手できなかったが、昨年オークションで一編成偶然にも入手したが、CON-CORブランドのこれが中国製になっている。KATOの金型が中国に渡ったのであろうか?そういえば最近の日本のマイクロエース製品はほとんどが中国製、安価になっているのであるが・・・


 さて、米国型機関車で行き着く先はマレー型機関車である。複数組のピストンを有し、巨大な馬力を持っている機械である。UPBigboyという4-8-8-4構成の巨大な機関車が大変有名である。 この頃Nゲージにマレー型があると知って矢も立てもたまらなくなって捜索を開始した。東京中の模型店を聞き回り(笑)辿り着いたのは独逸ROWA社製のY6bという2-6-6-2のマレーである。これを神田の科学教材社で入手した。その頃の熱意には我ながら感心する。(汗) この機関車はNorfork Westen鉄道の複式マレーを模写している。複式マレーとはボイラーからの蒸気で高圧用ピストンを駆動、その排気で更に直径の大きい低圧ピストンを動かすという仕掛けである。低圧側の巨大なピストンの雰囲気がよく表現されている。 Bigboyの新型機関車は、高圧の蒸気を2組のエンジンに供給しているので単式マレーと云われている。連接パイプからの高圧蒸気の漏れを防止する方法が確立された結果、より効率の良い機関車が誕生したのである。
 単身赴任から開放された昭和60年、その記念に赴任旅費でNゲージのBigboyを取得することとした。 イタリアのリバロッシ社の力作である。車軸と同期して排気音を発する仕掛けまで取り付けたのであるが、この機関車を買って力尽きてしまい、その後発売されたチャレンジャーには目を向けることもなかった。後年、BR96という独逸のタンク式マレーをオークションで入手したが、やっぱりアメリカ型の機能美が好きなのである。それも他の国には存在せぬ変わり者に魅せられてしまうのである。

 Bigboyから10数年後、銀座の天賞堂に中古ショップができるご時世になっていた。その昔Modelrailroad誌上で散見していた真鍮製Nゲージが放出されているのを発見し、とうとう究極のマレー型機関車SP(Southern Pasific)Cabforward 4-8-8-2 AC-7が到来した。真鍮モデルはかって日本のお家芸であったのであるが、いつの間にか韓国製がこの世界を席巻するようになり、このSP4051機も同様である。

  この機関車は、SacramentoからSierraNevadaの山越えに使われていたものである。トンネルが連続する急勾配のこの路線において乗務員を煙害から守るために運転室を機関車の前面に配置したものである。ボイラーが逆向きなので燃料は石炭ではなく重油を使っていた。手元に1957年のSP4274の最終走行を記録したビデオがあるが、巨大な機関車の走る様には圧倒されてしまう。 アスターから次期モデルで出さないだろうか、高いだろうなぁ(笑)
 ところで肝心のこの機関車の走行性能は、日本のKATO製とは比べるべくもなく悪い、更には長大な曲線を必要としてしまうため並のレイアウトでは走行させられない。まあ、二度と入手できない工芸品(?)と思って動態保存としてる。



 1年ほど前、Nゲージの乗工社(JOE WORKS)のSHAYが入庫した。ナローではないかとかオーバースケールだのゲージ論が沸騰しそうであるが、それはさておき3トラックのMayland SHAYの雰囲気が創り出されている日本製の真鍮モデルである。もちろんダミーであるが縦型2気筒のドンキーエンジンと各車軸を繋ぐ駆動軸もあたかも生きているように動作するのでSHAYの雰囲気を完全に表現している逸品モデルである。



 30年余をかけてかような機関車群を集結させていた反動でレイアウトといえばお寒い限りである。毎度のことながら工事中断が何度あったことやら、家人からの信用はゼロである。2年ほど前、これならばと半完成のKATOのミニレイアウトを買っては見たものの未だに工事中で完成に至らない。まとまった時間が欲しいなと思う最近である。そういえばライブスティームC622にも手を付けられぬままである。(2003.10.12)







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