からくり日記

2004年12月18日

昭和レトロと町の水システム

 三丁目の夕日という漫画をご存じだと思います。小学館のビッグコミックオリジナルで長年連載されている西岸良平氏の著作です。漫画を殆ど読まない私ですが、この人の漫画と松本零士氏の作品は何故か例外です。
 昭和30年代後半の日本のどこにでもあった光景、町のそこここに溢れていた子供達の活動などを情感込めて書いてある作品は何回読んでもほのぼのとした気持ちになります。このからくり日記の前半を読み返すと随所に似たようなことを取り上げていたようです。更には漫画の題材にクラシックカメラや鉄道模型を採り上げてあり作者の人間像を想像すると、ひょっとしたら同一民族ではないのかなと思ってしまいました(笑)

 子供時代の夏の日課は、ラジオ体操でした。体操が終わると町内の掃除が始まります。町内の掃き掃除、排水路のどぶさらい、大人と同じことを何でもやらされていました。そういえば冬休みになると夜は火の用心の見回りもやっていました。カチ、カチ「マッチ一本火事の元、要らない電気は消しましょう。火事は国家の大損害、ついでに風呂場も見て下さい。」と声を張り上げながら町中を回っていました。

 昭和30年代の町は懐かしいなと思う向きが増えてきたので「最近の儲けどころは昭和レトロである。」ともてはやされ、当時そっくりの飲食店やイベントがみうけられます。が、あれは本当のレトロではありません。蚊と蠅と路地に漂うトイレの匂いがなければ本物ではないのです。(笑) それを思い出すと単純にあのころは良かったとは云えないわけです。でも蚊と蠅がいなかったならば大変住み易く心安らかな時代でした。 その頃は、蚊と蠅のいない理想の町を作ろうと大人と子供は町の掃除に取り組んでいたのです。
 私の生まれ故郷佐賀県武雄市は、田舎のことですから下水道などあるわけがありません。実は水道すらありません。家毎に綺麗な水の出る井戸を持っていたので水道などは無くても良かったのです。
雨水は道路に沿った溝を流れ、家庭の排水は、隣家との間を通る溝を通り、町並みに沿ってその左右の裏を流れる川に流されていました。

 余談ですが、私の住んでいた武雄市朝日町高橋地区は町全体が高橋川とその川から分流した水路とも云うべき小さな川に夾まれていました。水運が盛んだった町には川がつきものです。この水路体系が江戸時代の初期頃に成り立って昭和30年代まで続いていたのです。大きめの船の着く新堀港という柳川沖端によく似た有明海から遡れる港はもう少し下流にありました。

<連休阿房旅行の柳川市沖端漁港の写真を流用。 昔の高橋・新堀港とそっくりです。>

最近、高橋の町の排水系を思い出してその浄化のメカニズムを考えると、あの突然の公害というべき水の汚れは何だったのだろうと愕然としています。
当時の溝は、コンクリートで固められていない土の排水路でした。ところがこの土の溝がみそで奥行きの長い商家作りの排水溝は自ずと長い行程になります。汚水に含まれる栄養分はこの水路を流れていく間に土の中に住み着くバクテリアに分解され、大きな屑は川まで流されて魚の餌になっていたと思われます。この川では学校公認で泳いでいましたし、六月になるとが現れていました。普段は、(しじみ)や川蜷(にな)が採れて、家の食料になっていたほどです。川蜷の塩茹ではシンプルですが飽きない味を持っていて我々子供達のおやつになっていました。それほど良かった水質が駄目になってしまったのです。ところで、たまに手伝わされる溝の掃除は、排水がスムーズにいかなくなった際に水のメカニズムを守るため無意識に行われていたようです。

 私がこの故郷を離れて数年をして高度成長が始まり、環境が激変。あの綺麗だった川がどぶの匂いを発するようになってしまいました。食物の洋風化、合成洗剤の普及、溝のコンクリート化、更には川そのものコンクリート化によって自然の排水系における分解能力が極端に落ちたのだと仮説を立ててしまいましたが、さて真相は何でありましょうか、どなたかご教示頂きたいと思っています。。
 我が家の蜻蛉池は、ビニールの上に厚めに土を敷いた自然のままの水底です。作成直後の1,2ヶ月は濁っていましたが、次第に澄んで7年を経た今は浄化装置が無くても清冽な水を保ち毎年少数の蜻蛉が羽化し、メダカは世代交代を重ねています。豪雨があって濁っても半日で透き通ります。
この小さな環境を見るだけでも自然の浄化能力は大したものだと思います。ただし、冬枯れした布袋葵(ほていあおい)が腐り始める春先にはどうしても水質が悪くなっているようです。自浄能力を超えるゴミが入ってしまうとエコバランスが崩れてしまいます。自然界も全く同じことが起きているのだと思います。

 話を40数年戻しますと、長めの排水路はその流れの中で汚水を分解しつつ川に流し込むという効果があったのだと思います。今更ながらですけど、江戸時代から地元を支えてきた水システムを10数年程度の変化で成り立たなくしてしまった現代科学(文明?)の非力さと我々の倫理観のなさを痛切に感じてしまいます。水俣病や垂れ流し公害の原点はこの辺の無意識さにありそうです。
あのこぢんまりとした高橋川で何故泳ぐことができたのだろうと考えていたらここに至ってしまいました。やっぱり蛍光灯です。(笑)
 あの時代には衛生面等々を考えると戻りたいとは思いませんが、良かったなと思うことどもはそのからくりを理解した上で素直に取り入れたらいいのではないかと考える最近です。年々近づく還暦が無意識にその思いを増幅するのかも知れません。(2004.12.15)







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